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ともしび                 

第七十一号 

東家に食い、西家に息う
  古代中国に斉(せい)という国がありました。そこのお話です。ある家に一人の年頃の娘がおりました。東と西の家から、
「ぜひ、息子の嫁にほしい」
との申し入れがありました。東の家は金持ちなのですが、そこの息子はそりゃもうひどいブ男。反対に、西の家は貧乏ですが、息子は相当な美男子です。
  両親も困ります。肝心の本人の気持ちが大切と、娘にたずねました。
「もし東の家へとつぎたいなら、着物の左の肩のほうを脱ぎなさい。西の家へ行きたいのなら、右のほうを脱ぐんだよ」
娘もためらっていましたが、両肩とも脱いでしまいました。両親が驚いてわけをたずねると、
「昼間は東の家で食べたり着たりして、夜は西の家でやすみたいんだもの」
人間が利益に貪欲なことをたとえた話で、略して、
「東食西宿(とうしょくせいしゅく)」
とも言うそうです。まあ、人間に食欲も性欲も金銭欲もなくなれば、人類はたちまち滅亡するでしょう。神道などはもともとかなり大らかな宗教ですから、目くじらをたてて欲を捨てるのに邁進(まいしん)したりはしません。仏教の中でも、密教などは
「欲望を持つのは、悪いことではない。むしろいいことだ」
と説く宗教です。欲望があってこそ人間が発展するエネルギ-が生み出されていることは否定できませんし、自分の思いが満たされず、挫折することで信仰の道に入る人もたくさんおります。つまり、欲望が神仏への道しるべとなる場合も確かにあるのです。
  ただ、何事にも限度というものが大切です。欲もほどほどでとどめるのが肝心でして、気を抜くと自分の身を滅ぼすことにもなりかねません。欲望は、言うなれば砂糖のようなもので、なくても困りますが、甘くて口あたりがいいのでついとりすぎることになりやすく、虫歯になったり糖尿で体をこわしたり、ろくなことが起こらなくなります。
  同じく中国に楚(そ)という国がありましたが、そこの荘(しょう)という王は、帝位につくと、
「わしをいましめる者は、死刑にする」
というおふれを出し、それから三年間にわたって政治を全く行わず、酒と女遊びで暮らしました。臣下ははじめはとまどいましたが、いさめれば死刑です。仕方がなくつき合っているうち、誰だって遊んで暮らすほうがいいに決まってますから、前の王の時代の中心となった臣下まで、酒と女にうつつをぬかすようになってしまいました。いったん遊びの味をしめると、もうとどまりません。わいろも横行して、国は相当乱れてきました。
  たまりかねた伍挙(ごきょ)という役人が王をいさめようとしましたが、直接言うと死刑にです。そこで、一つのたとえ話をしました。
「一羽の鳥が丘の上におります。三年間、鳴かず飛ばずです。(「鳴かず飛ばず」という言い方は、ここから出た言葉です)一体、何という鳥でしょうか」王はすぐに答えました。
「三年も鳴かず飛ばずでいるのだから、ひとたび飛べば天にも昇るだろう。三年も鳴かぬのだから、鳴いたら人をびっくりさせるほど、大声で鳴くことだろうよ。」
それから数ヵ月が過ぎましたが、いっこうに王の乱れた行いはやみません。今度は蘇従(そしょう)という臣下がいさめました。王は、
「わしをいましめる者は死刑だ。存じているな」
「国がおさまりましたら、死んでも本望です」
「わかった。よくぞ申した」
その日をさかいにして、荘王はぴたりと乱行をやめ、女を城から出し、宴会の席も全部片付けさせました。三年間の乱行は、本当に忠実な臣下を見分けるための芝居だったのです。王につきあっていい気で遊んでいた家臣はたちまち左遷され、さきの伍挙(ごきょ)と蘇従(そしょう)は大臣になり、乱れた城のなかでも仕事をさぼらなかった臣下が取り立てられ、楚の国は強大になったと言います。
  人が悪いというか、かなりずるがしこい王なのにあきれますが、目先の欲にとらわていい気でいると、思わぬ落とし穴があるとも言える話ですね。

ともしび

第七十二号 


負けっぷりをよくするということ
  昔からよく読まれてきた中国の兵法書に、「呉子(ごし)」というのがあります。それによると、軍隊を率いる基本原則は、
「可(か)を見て進み、難(かた)きを知りて退く」
ことだそうです。簡単に言い換えると、
「有利と見たら攻撃を加え、不利と見たら退く」
という意味になりましょう。兵法の極意書というからどんな内容が書いてあるかと思えば、意外に平凡であっけないくらいです。しかし、その実、平凡なことほど実行するのは難しいものでして、昔からどれくらいの多くの人間がこの原則をふみはずして自滅していったことでしょうか。
  勢いにまかせて進むことはまだやさしいものです。本当に難しいのは「退くこと」でありましょう。進むばかりで退却を知らない人を「猪武者(いのししむしゃ)とも言いますが、そんな向こう見ずのことをしていては体がいくつあっても足りません。歴史を振り返ってみると、われわれ日本人はどうも退くことが苦手のようです。ちょっと追いつめれると、一か八か、当たって砕けろ、という戦い方をしがちです。戦国時代の武将が滅亡する時には例外なくこのパタ-ンをたどっていますし、太平洋戦争のときにも軍部が、一億玉砕(ぎょくさい)とか言い出したりして、いわば日本全部が一種の、集団のヒステリ-のような状態になってしまいました。
  その点、中国のやり方は非常に慎重です。形勢不利と見れば必ず退却します。「三国史(さんごくし)」などを読むと、あちらの戦争は、勝っては進み、負けては退却というパタ-ンが延々とくり返されていることがわかります。もっとも、中国と日本との違いは、その国土の広さも大いに影響しておりまして、何しろあれだけ広大な国土ですから、何十万という軍隊でも、逃げきれる余地が十分にありました。下手に戦って元も子もなくしてしまうよりは、うまく逃げて兵力の温存をはかるほうが、勝ち残れる可能性がはるかに高いわけです。あの国で勝ち残った指導者たちは、みな逃げるのが実に上手でした。前の戦争の時にも、日本は圧倒的な兵力で中国に攻め込みながら、地下にもぐってゲリラ戦で対抗する毛沢東(もうたくとう)などといった人たちに、最後は負けてしまったわけです。
  同様のことはベトナム戦争でも言えます。あれだけの武器や爆薬を投入しながら、アメリカはとうとうベトコンには勝てませんでした。あそこのジャングルなどはいったん敵が逃げこんだが最後、ちょっとやそっとでは見つかりません。それに対して、日本の山野はたかが知れています。富士山のふもとの樹林や北海道の原生林に迷い込んだら話は別ですが、普通の山などは三日も歩いたら大抵はふもとに出てしまう程度でしかありません。負けて退却したくても、逃げ場がなくすぐ見つかってしまうため、日本では先のような当たって砕けろ式の、それこそ特攻隊タイプの戦い方が定着したのでありましょう。
  ことは戦争にかぎらず、日常生活でも、「退却することの重要さ」を肝に銘じたいものです。企業がつぶれる原因で非常に多いのが、新規の事業に参入して撤退の時期を逸することです。こういう時は何かで損をすると、その損害を取り戻そうと無理を重ね、結局赤字ばかりがふくらむということになりかねません。ギャンブルにのめり込む人の心理もだいたい同じですし、サラ金で破産する人も同様のパタ-ンです。失恋したり、愛人との別れ話がもつれたりしてやけを起こし、警察のご厄介になる人も結構おります。これらはいずれも、「撤退の時期」の判断を誤ることに元凶があるのでしょう。失敗をした時点、うまく行かなかった時点で常に点検を怠らないようにしたいものですね。もう少し我慢してそのことを続けるべきか、それとも縁がなかったものとすっぱりあきらめるのがいいのかをです。
  言葉をかえれば、「負けっぷりをよくすること」が肝心とも言えます。ただ、世間の評判や目先の損得にとらわれていては、いさぎよく引き上げるということはできますまい。自分の非をここで認めてしまうとあの人に笑われる、などとつまらぬ意地を張って、ますます傷を大きくしてしまうことにもなりかねません。生き方に信念を持っている人と、人生に自信を持てない人との差はこんなときに出てくるのではないでしょうか。この点で信仰に篤い人は幸いです。全力をつくしさえしていれば、何らかの形で神仏のご加護があるものだということがわかっていますし、逆境の体験をチャンスに自分を磨く心構えの大切さも知っているからです。

ともしび

第七十三号 

臨時追悼号 平田実音さんをしのぶ その1

  当院で6年前から発行しています「ともしび」で、このたび臨時追悼号を出すことになりました。

 ことの発端は次のようなものです。当院は飛鳥時代の古来から霊験あらたかで知られ、生きている人のお悩みにお応えするのが従来からの伝統でした。しかし、これも時代の流れでしょう、最近は葬儀や法要の依頼が増えてまいりました。それまでお盆というと、住職が檀家まわりをするだけだったのが、「お盆に不動院にお参りしたい」という声が多くあがるようになり、盆供養の行事が始まったのが昨年からのことです。一般にお寺というとお葬式と法事をするところという認識ですが、当院はその逆のパターンをたどっているわけです。いつもの「ともしび」では、「いかに生きるか」が基本テーマとなっておりますが、お盆などの供養に関しては、亡くなった方を追悼する内容が基本となります。そうなると、どうしても取り上げたい方として、平田実音さんを紹介させていただく運びとなったのです。

 皆さんは「ひとりでできるもん!」という番組をご存じでしょうか。NHK教育テレビで1991年から2006年まで25年にわたって続いた教育・料理番組です。この番組の主人公は水沢舞(みずさわまい)という小学校2年生の女の子なのですが、この番組で初代の主人公役を演じたのが平田実音さんです。当時はテレビ番組で子どもに包丁や火を使わせることがタブーとされていました。しかしNHKのスタッフは、「子どもに料理を教えるのは、教育上重要なことである」という信念に基づき、あえてタブーに挑戦したのです。その結果この番組は大評判となり、NHK教育の番組としては異例といえる視聴率10%越えを記録、あまりの人気に水沢舞役の平田実音さんが紅白歌合戦にゲスト出演するまでになりました。

 当時は私自身、息子が生まれたばかりで、どの家庭でも子どもが小さいときはNHK教育の番組を流しっぱなしになるのが普通です。何気なしにテレビをつけていて、この番組を目にした時の衝撃はいまだに忘れられません。小学校の女の子が、本当に「ひとりでできるもん!」といって料理を作ってしまうのです。これには本当にびっくり仰天いたしました。個人的な事情になりますが、私は高野山の円通律寺(えんつうりつじ)というところで僧侶としての修行をしておりまして、かなり厳しい修行内容で知られているところです。ちょうど拳法の世界で「少林寺出身です」というと、「おお、あの少林寺で修行したのか!?」と言われて一目置かれる、あんな感じのところでして、完全に女人禁制の世界で一から十まで全部自分たちでやらないといけません。読経や瞑想といった僧侶の仕事は当然として、掃除も洗濯も料理も、すべて自分でやるのが当たり前とされており、精進料理をかなり徹底して仕込まれたものです。「料理は愛情」というキャッチフレーズが大昔にあったような気がしますが、精進料理の世界では「料理は慈悲(じひ)の心」と言われています。

どういうことかと申しますと、精進料理ですから肉や魚は使わないものの、米も野菜も、我々が食べれば食材となる植物はそこで命が終わってしまうわけで、我々は他の命を奪わない限り生きてはいけません。となると、せめて我々に命をくれた植物のためにも、可能な限り有効利用し、捨てるところはできるだけないようにしようと考えるのが、「料理は慈悲の心」という表現になるのです。例えば「かぶら」一つを調理するにしても、普通ですと皮をむいて「へた」をとって調理するのですが、精進料理ではむいた皮もきちんと使います。天日干しにして乾燥させ、それを水に戻して出汁(だし)を取るのですが、なかなか上品ないい味が出ます。出汁を取った皮はどうするのかというと、これも捨てるようなもったいないことは絶対しません。細かく刻んで味噌汁の具にします。「へた」の部分もいくつか集めておいて、煮付けにします。要するに何一つ捨てることなく、本当に全部食べてしまいます。それが命を差し出してくれた植物に対しての、感謝の心の表れと考えています。そのため真言宗や禅宗では料理は単なる食べる手段なのではなく、とても大事な修行の一つと考えられています。

そのような事情があるために、この番組を見たときは「すごい。これは慈悲の心そのものではないか」と思いました。食育の重要性が盛んに喧伝されていますが、「ひとりでできるもん!」はその元祖となった番組で、社会に貢献した功績は本当にはかりしれません。ところが、運命というのは本当に残酷なもので、主人公の水沢舞ちゃんを演じた平田実音さんは、2年前の8月に33歳の若さでお亡くなりになってしまいました。その時は妻ともども本当にショックで、世の無常を嘆きあったものです。このたび機会がありまして、平田実音様のご家族の方にご了承をいただき、機関誌にて取り上げさせていただく運びとなりました。来月にも続きの内容を書かせていただきます。

ともしび

第七十四号 

臨時追悼号 平田実音さんをしのぶ その2

  先月は残念にも33歳の若さでお亡くなりになられた、平田実音さんのことについて書かせていただきました。実音さんと聞いてぴんと来ない人も、NHK教育のかつての大人気番組、「ひとりでできるもん!」の主人公水沢舞(みずさわまい)役をやっていた小さな女の子と言えば、「あの舞ちゃんのことか」とお分かりになる方が多数おられます。番組放映当時の人気は大変なものでしたし、平田さんが表紙を飾っている料理本はいまだに売られています。

平田さんが亡くなられたということが報道されると、各方面からその死を悼む声が殺到しました。お母様によれば、その頃Gogole検索で一位になったそうです。この番組によって料理の面白さに目覚め、今はプロの料理人として活躍している人がたくさんいます。数年前から体調を崩され、肝不全により突然の死を迎えてしまわれましたが、彼女の果たした業績は大変偉大なものがあります。

その一方で、当院にはさまざまな悩み事を持った方が来られて相談に乗っておりますが、生きづらさを訴える人は大変多く、「こんな人生は生きていても無駄」とか「早く死んでしまいたい」ということを訴える人も結構います。若くして病気に倒れる人もいるのだから、贅沢な悩み、命の大切さを知らない愚か者と言えばそれまでですが、生きづらさを訴える人にもそれなりの深刻な事情があります。となると、長生きをするのが本当に幸せなことなのか、結論をはっきり出すのは難しいということになりましょう。

無為な時間を過ごして老齢を迎えるのと、平田さんのように33歳に残念にも夭折(ようせつ)されてしまったものの、世の中に多大な影響を及ぼした人生と、どちらが充実していたのかというと、これは文句なしに平田さんのほうです。出演しておられた番組は社会現象になるほどヒットし、その価値が認められて世界中で番組が放映されるようになりました。この番組がきっかけでプロの料理人になったという人は数多いですし、当時この番組を見ていた視聴者は、幼児だけにはとどまりませんでした。実際には女子中高生や新米ママ達にも大人気で、その理由はみな「料理が出来なかった」からです。この番組の放映当時、私は県立高校の教員として勤務しておりましたが、校内で若手の女性の先生方を対象に料理教室を開いておりました。20代から30代の女性の先生方が料理を教わりに来るのですが、その実態はかなり深刻なもので、包丁の使い方からしてさっぱり分かっていない人が大半でした。「包丁を使うときは、ニャンコの手で」というフレーズでお教えしていましたが、この言葉は「ひとりでできるもん!」の番組より拝借したものです。女子中高生や新米ママも実態はほとんど同じだったようで、「この番組が本当に私の先生でした」というコメントをいくつ目にしたか分かりません。女性教員の指導に悪戦苦闘しながらテレビを見ると、水沢舞こと平田実音さんが「ひとでできるもん」と言いながらさくさく調理をこなしているのを目にすると、その差にあぜん、こっちは「ひとりでできないもん」だなあと思っていたものです。実はこの当時「あさりちゃん」という人気漫画の連載があったのですが、主人公のあさりちゃんは料理が大の苦手で、漫画の中で「ひとりでできないもん」と嘆いていましたので、このジョークは当時誰でも思いついたもののようです。

人は誰でも死にます。寿命には長短があります。ただ、人生の善し悪しは長いか短いかという尺度ではかれるものではありません。大切なのは長さではなく、質と密度なのではないかと思います。だらだらと無為な生活をいくら続けても、得られるものはそれほど多くありません。平田実音さんがこの番組を始められたのは、保育園の年長組の時だったそうです。わずか五歳の子供に多くの人が教えられ、勇気と夢をもらっていたのです。しかも、この番組が始まるまでは幼児に包丁や火を使わせるのはタブーとされており、時代を切り開くパイオニアとしての活躍までされていました。私たちは平田さんの生き方から、たくさんのことを学ぶ必要があります。

加持祈祷と相談事が活動のメインだった当院が、最近ではずいぶん多くの葬儀や法事を行うようになりました。ご葬儀や法事の際にいつも私が強調するのが、亡くなった方の冥福をお祈りするのが当然大切なことではありますが、この世に残された我々が、普段の生き方を反省し見つめ直すために行うのが葬儀や法事である、という点です。そのために当院の葬儀や法事は、ちょうどDJのように私が作法やお経を日本語訳つきで、全部解説しながら進めます。最初これを目にした人はびっくりしますが、すぐに「これなら納得できる」とおっしゃります。このやり方に一番賛同してくださるのが実は葬儀会社の方だったりします。そして、何よりも重要なのが法話です。身近に亡くなった方が出てはじめて、私たちは死や生のありようをリアルに考えるようになるからです。平田さんをしのび、私たちも彼女に負けないよう明日からの日々を頑張らねばなりません。

ともしび

第七十五号 

臨時追悼号 平田実音さんをしのぶ その3

  二ヶ月にわたって「ひとりでできるもん!」の水沢舞ちゃんこと、平田実音さんの追悼の文章を書かせていただきました。参拝の方々にお見せする前にご家族の方には目を通していただき、ご了解を得させていただいております。実音さんの業績については「ひとりでできるもん!」の出演がダントツで有名ですが、2000年から2003年までは「みんなの広場だ!わんパーク」という番組でMCをつとめ、再び主役を張っておられます。この番組も非常に好評で3年間続きました。この番組も「子供が歌ったり踊ったりできるライブ番組」という非常に斬新なコンセプトで作られており、従来の常識をくつがえす画期的なものでした。ご家族の方にご意見を伺うと、実音さんの「初めてづくしに挑戦し続ける」という姿勢について特に感銘を受けておられます。この点は私も全く同感です。誰かがやったことの二番煎じは容易に出来ますが、何もないところから新たな道を切り開くほど大変なことはありません。コロンブスが新大陸を発見したとき、

「もともとあったものを見つけただけではないか。」

という非難を受けたことがあります。つまらぬ言いがかりをつける者はどの時代にもいるものです。コロンブスはそこで、

「そんなことを言うのなら、ここにある卵をテーブルの上に立ててみなさい。」

と言いました。相手は、

「卵がテーブルの上に立つわけがないではないか。」

と言いますと、コロンブスは卵のからを少し砕いて平らにし、テーブルの上に立てました。その卵はゆで卵だったのです。

「そんなことなら誰でも出来る。」

と相手が言いますと、

「人のまねをするのなら誰でも出来るが、一から物事を始めるのがいかに大変かがこれでわかるだろう。私が卵を立てるのを見るまで、あなたは何も出来なかったではないか。」

と言われ、相手はぐうの音も出なかったと言います。

 何もないところから物事を始める大変さは、やったものでないと絶対にわかりません。インスタントラーメンを最初に世に送り出したのは日清食品の安藤百福(あんどうももふく)さんですが、生活に窮乏するほど研究に打ち込み、世界初のインスタントラーメンを完成させました。この研究を成功させたとき、安藤さんはすでに48歳になっていたのだからたいしたものです。いまだにインスタントラーメンというと、日清のチキンラーメン、そしてカップヌードルが文句なしに代表選手としてあげられるのも、パイオニアとしての功績がいまだに評価されているからに他なりません。

 平田実音さんは5歳にして幼児向け料理番組という画期的なものを生みだし、高校生にしてまたもや、子供向けソウル番組という新分野を切り開かれています。先人が8まで完成させたものを10にもっていくのは容易ですが、全くのゼロから1を生み出すのはとてつもなく大変なことで、誰にもまねが出来るものではありません。実音さんは「「みんなの広場だ!わんパーク」では「ミーオ」という名前で司会進行をつとめられましたが、衣装やヘアメイクもとても斬新なもので、現在のきゃりーぱみゅぱみゅや初音ミクなどのファッションの源流になったと言われています。

 当院の活動も、一般の寺院の様子をご存じの方は例外なく驚かれるように、非常に斬新なものです。お葬式だろうが法事だろうが、一般の法要だろうが、お経の意味や真言を説明しながら進めるDJ方式で、法話はパワーポイントで行います。130体もある仏さまには全部説明書きがついています。寺院にはホームページやフェイスブックもLINEもありますし、本堂には冷房設備やWiFi環境まで整っています。よく参拝の方に、「1400年も歴史のある由緒ある寺院なのに、よくもまあこれだけ新しい事に挑戦しますね。それが意外です。」と言われますが、実際には案外逆なのかも知れません。檀家の方とよくこのことで話をするのですが、「その時代に柔軟にあわせてきたからこそ、逆に1400年も続いたのではないか。」という結論に達しております。というのも、これだけ長い期間となると時代の変遷は激烈を極めているはずでして、江戸時代に至っては当院は「日光御配下(にっこうごはいか)福寿院(ふくじゅいん)」という名前で、日光東照宮の末社となっており、寺院ではなくなんと神社として運営されていたのです。となると、時代に応じて新しいことにチェレンジするからこそ、この長期間廃絶をまぬがれたのだと思うのです。平田実音さんの生き方を我々も見習って、私たちも失敗を恐れず、新たな一歩を踏み出す勇気を持ちたいと思います。

ともしび

第七十六号 

臨時追悼号 平田実音さんをしのぶ その4

  2年前の8月にお亡くなりになった「ひとりでできるもん!」の水沢舞ちゃんこと、平田実音さんの追悼号をお送りしています。追悼号はご家族の方にも目を通していただき、掲載のご許可をいただいております。当初は2号にて追悼号は終わる予定でしたが、ご家族の方から実音さんの崇高なチャレンジ精神について伺い、ぜひこの話も取り上げたいと思いまして先月号を書きました。今月は実音さんの芸能界を引退されてからのことについて書きたいと思います。実音さんは2歳から22歳まで芸能活動をされ、青山学院大学をご卒業後は一般社会人として勤務されておられました。世の中の注目は芸能活動をされていた時期にどうしても集まりますが、ご本人およびご家族としては、生活は生活、人生は人生です。むしろ引退後の人生の方が大切かもしれないと思います。実音さんはテレビ出演により各方面に多大な影響をお与えになりましたが、我々一般人はとてもそうはいきません。ほとんどの人生は人に活動を知られることもなく、ひっそりと日陰に咲く花のように咲き、そしてしおれて人生を終えていくものです。「つまらぬ人生で生きていても仕方がない」「早く死んでしまいたい」という悩みもよくお聞きします。日の当たらない人生は本当に無意味なのでしょうか。

 真言宗には「曼荼羅(まんだら)」というものがあります。一面にびっしりと仏さまが描いてあるもので、多くは掛け軸などに加工されています。大変簡単に説明してしまうと、要するに仏さまの教えを絵、もっと分かりやすく言うとマンガで表現したものです。曼荼羅には二種類あり、一つは金剛界(こんごうかい)曼荼羅、もう一つは胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅と言います。金剛界曼荼羅は画面全体が九つのブロックに分かれていて、中心に大日如来が描いてあり、他のブロックにはさまざまな仏さまが描かれています。この理由をごく簡単に説明してしまうと、他のブロックのさまざまな仏さま、阿弥陀様だったりお不動様だったり、弁天様や大黒様だったりしますが、それらの仏さまは結局は大日如来が姿を変えたものにすぎず、どの仏さまを拝んでもよいとするものです。そのため真言宗では本当にどの仏さまを祀ってもよいとされており、檀家のお仏壇にもどんな仏さまを入れてもよいとされています。大本山の高野山にも、阿弥陀様がご本尊という寺院がかなりあり、ご真言として「南無阿弥陀仏」と本当にお唱えします。当院にも四重構造の蓮の台座に乗られた阿弥陀如来という、たぶん全国でたった一つという本格的な仏さまがお祭りしてあり、8月28日には「阿弥陀まつり」まで行っているくらいです。

 もう一つの胎蔵界曼荼羅は、中心に大日如来がおられ、そのまわりを右回転でさまざまな仏さまが取り巻いている構造をしています。真言宗は大日如来をお祀りしますが、別に大日如来という仏さまがおられるわけではなく、宇宙全体を大日如来として仮に名前をつけ、礼拝しているに過ぎません。これは大本山である高野山の公式見解です。となると、胎蔵界曼荼羅は何のことはない、この銀河系が右回転でさまざまな星を抱えているのをそのまま表現したものであり、太陽を中心にして各生物がまわりまわって生態系を構成していることを示しています。

 ここで重要な点があります。それは、どの構成員もお互いに連携し合い、相互依存して存在しているということ。曼荼羅の周辺には我々人間も描かれており、さらにそのまわりには植物が描かれています。どのような生物でも、必ず相互依存をしていて不必要なメンバーはいません。たとえばゴキブリは人に嫌われる昆虫ですが、ゴキブリ1000種類のうち、3種類だけが人間と住む領域が重なってしまったのであのように嫌われる存在になっていますが、他の997種類のゴキブリは野山にいて、落ち葉や動物の死骸を分解して土にしてくれています。もしゴキブリが全滅したら、生態系はぶっ壊れて私たちは全滅してしまいます。私たちはゴキブリに支えられて生きていられるわけで、そう考えると生態系のメンバーに無駄なものはなく、みな必要な欠かせないメンバーなのだと言えます。同様の理由で、別に仏さまを祀ったりお経を唱えなくても、他人や環境に配慮して生活していれば、真言の教えを実践していると申し上げてよいのです。

「私は身寄りがないので、私が死んでも悲しんでくれる人は一人もいない。」

ということをおっしゃる方もおられますが、家族があるからと言って、いざという時にその死をいたんでもらえるとは限りません。他人よりも激しい憎悪の応酬になるケースはいくらでもあります。明治より前には僧侶は妻帯をしないのが普通でしたから、地方の寺院でいわゆる「孤独死」をするのが当たり前でした。ではその時代、僧侶が嘆き悲しんで最期を迎えたかというと、そんなことはありません。なぜなら、身寄りはいなくても仏さまが常に寄り添ってくださるのを知っていたからです。ここに宗教の存在する意味があると思います。あえて理想を言うと、実音さんのように社会に多大な貢献をし、その志を継ぐ人が周囲にたくさんおられる状態で天に召される形が一番なのだと思います。

ともしび                 
第七十七号  


楽しみは…
  風邪を引いたり、どこか悪くなって寝こんだりした場合、誰しも
「ああ、健康というのはこんなに大切だったのか」
と思います。ぴんぴんしていた時は、やれ会社がつらい、学校がいやだと不満ばかりがつのるものでして、
「ああ、面白くない、なんて自分の人生はつまらないんだ」
とぼやきたくもなるものですが、いったん健康をそこねたりすると、五体満足で無事に働けるということが、一番の幸せだったことがわかります。また、
「毎日が同じくりかえしで退屈だ」
というのも、実に多くの頻度(ひんど)で私たちの心に侵入する不満なのですが、だからといって車にはねられるとか、ガンやエイズにかかるとか、家が焼けたとかしたら大変です。たしかに退屈はまぎれますけどね。
  とかく平凡な毎日のありがたさというのは、不幸な目にあわないとなかなかわからないものです。その点、信仰を持つ人はまだましと言えましょう。ふだんの何気ない生活の中にも、感謝をするべきことがたくさんあることがわかりますから。そうでないと、健康な頃にはぐちをこぼし、病気になったら以前をなつかしみ、また健康になったら前と同じぐちをこぼすというように、人間として向上していけなくなってしまいます。
  幕末の学者で、橘曙覧(たちばなのあけみ)という人がおりました。国語の教科書にも出てくる有名な人ですが、この人に「独楽吟(どくらくぎん)五十二首(ごじゅうにしゅ)」という作品があります。自分の平凡な日常生活から、楽しいことをぬきだして歌にしたものですが、その内容を読むとちょっと驚いてしまいます。
「楽しみは  妻子(めこ)むつまじく  うちつどい   頭(かしら)ならべて  ものを食うとき」
「楽しみは  三人(みたり)の子ども  すくすくと   大きくなれる  姿見るとき」
「楽しみは  まれに魚(うお)煮て  子らがみな   うましうましと  言いて食うとき」
「楽しみは  珍しき書(ふみ)  人に借り    はじめ一枚  広げたるとき」
「楽しみは  朝起きいでて  昨日(きのう)まで   なかりし花の  咲ける見るとき」
「楽しみは  空あたたかに  うち晴れし   春秋(はるあき)の日に  出て歩くとき」
「楽しみは  心に浮かぶ  はかなごと(=つまらないことという意味) 思いつづけて  たばこ吸うとき」
「楽しみは  昼寝目さめる  枕べに  ことことと湯の  煮えてあるとき」
「楽しみは  とぼしきままに  ひとあつめ   酒飲め  物を食えというとき」
「楽しみは  雪ふる夜更(よふ)け  酒の糟(かす) あぶりて食いて  火にあたるとき」
  この調子でえんえんと五十二首続くのです。何だかこれを読んでいると、その暮らしぶりが目に見えるような気がしますね。なんのことはありません、ごくごく平凡な毎日そのもので、私たちなら見逃してしまうような、しごくつつましい楽しみに過ぎないのです。
  彼は歌に歌われているように、学者として有名ではあったものの、お金には本当に興味がなかった人でした。曙覧(あけみ)が五十歳のころ、仕えていた越前藩の藩主、松平春嶽(まつだいらしゅんがく)が家に訪ねてきたことがあったそうですが、あまりに彼の家が貧しいのでびっくりしたそうです。畳はすりきれ、壁は落ちており、雨の漏りそうな家で、書斎は土間にムシロがしいてあるだけ、そこから有名な著作が生まれていたということがわかりました。春嶽(しゅんがく)は、
「自分は金持ちで何一つ不自由しない身ながら、心は貧しいということがわかり、うしろめたく、恥ずかしくて顔が真っ赤になった」
と日記に書いています。幸福への感性の鋭い人は、こういうふうに日常がながめられるのです。私たちも見習いたいものですね。

 


ともしび                  
第七十八号  

儲けとツキを呼ぶ「ゴミゼロ化」の秘密

 常々言っていることではありますが、私は経営学の本を読むのが大好きで、これは若い頃から一貫して変わっていません。なぜかというと、この世界は常に結果が求められて本物しか生き残っていけないからです。私は本もよく執筆しますが、よい内容のものは宣伝をそれほどしなくても、ちゃんとベストセラーになってくれます。市場原理は本物の価値にとても敏感なのです。
 ひょんな機会から私は「儲けとツキを呼ぶ『ゴミゼロ化』工場の秘密」という本を手にしたのですが、これは大変な儲けものでした。この本は従業員わずか12名の大阪の小さな町工場が、会社をあげて清掃に取り組んだ結果、劇的V字回復を果たして超優良企業に生まれ変わった、本当のお話です。この手の展開はあの池井戸ドラマの真骨頂で、「リアル版下町ロケットか陸王なのか?」と思ってしまうほど同じパターンです。他社にマネのできない確かな技術力と職人気質の社員たち、これは本当にありました。新方針を信じて会社の改革にまい進する社長と、従来のやり方に固執する古株社員との激突、和解、そして一致団結、これも本当にありました。ただ、池井戸ドラマの鉄板展開の、中小企業にありとあらゆるいやがらせを仕掛ける、嫌味な大企業は登場しません。むしろ味方になってくれます。そして一番の違いは、努力の結果宇宙にロケットが打ち上ったり、マラソン大会の劇的勝利といった、派手な展開が一切ありません。ただひたすら会社をあげて掃除に取り組む、いたって地味な内容です。これでドラマを作ったら視聴率はえらいことになってしまいそうです。
 しかし、だからこそ我々もマネができるのです。ぜひ「ともしび」を通じて皆さんにその内容をお伝えしたいと思います。当院に参拝される方の中には結構な数の代表取締役の方たち、いわゆる社長さんがいらっしゃいますが、この本はおすすめです。大阪のこの会社はいつでも見学を受け付けていて、2008年に本が出た時点で1100社、3300人が見学に行っているそうなので、距離的にもそう遠くないし、見学にいらっしゃるのもよいかもしれません。
 この会社の名前は牧岡合金工具といいます。事業内容は金型作りです。金型とは、ちょうどたい焼きを作るとき、金属の型に小麦粉やら卵やら、砂糖やらを混ぜた液を流し込んで焼きますが、あのような型のことです。この会社は金型の内面に超硬合金を圧入し、高寿命の金型を作ることができる独自技術を持っています。この技術のおかげで、「牧岡の金型は持ちがいい」と、名指しで依頼が来ることも多く、小さい町工場ながらも、金型作りについては「牧岡ブランド」を確立し、堅実な経営を続けてきました。まるっきり池井戸ドラマの展開です。
 ところが、先代社長が病に倒れ、バブルの崩壊で製造業全体が設備投資を控えるようになり、注文が半減してしまいました。そのうえ、高寿命ゆえに他社より値段の高いこの会社の製品に、値下げの圧力がかかるようになりました。本来であれば不当な値下げに応じるのは、「牧岡ブランド」の価値を下げることになるのですが、注文数が減っているため、応じざるを得ませんでした。考えてみれば製品が高寿命ということは、なかなか壊れないので、次の注文が会社にそれほど来ないということでもあります。こうして会社は赤字に転落して、業績は先細りする一方になってしまいました。
 社長が真っ先に取り組んだのは経費削減で、「設備投資はしない」「昼休みは電気を消す」「残業を減らす」などを行い、自身の賃金も3分の1にまで切り詰めました。しかし、このようなやり方はしょせん対処療法で、問題の解決にはいたりません。社長はわらにもすがる思いで、財団法人・下請け振興協会(現・大阪産業振興機構)で勉強を始めました。この、「困ったらとにかく、何でもやってみる」という姿勢はとても大切です。当院にはたくさんの方が相談に訪れられますが、「困っています困っています」と、ただ言うだけのケースは相当多いです。「そのことを考えると心配で夜も寝られません」という相談もかなりありますが、あえて「へ理屈」を言うなら、心配で夜も寝られないなら何も無理に寝る必要はなく、朝までずっと起きていて対策を講じればよいのです。こう言ってしまっては身もふたもないのですが、困っているだけで何もしなかったら会社は必ず倒産しますから、このへんが社長の立場の大変なところなのです。その点、我々一般人にはやはり「甘え」があることを自覚しなければなりません。易学でも、「人間は行動することで運が変わる。家の中でじっとしている限り、絶対に運が変わることはない」とあり、全く同じことを言っております。
 社長は初めに、「ポルフ活動」というものにチャレンジします。これは「整理・整頓・清潔・掃除」「職制の整流化・目標管理」「作業規律」「省エネ・省資源」など、多岐にわたるチェック項目が20もあるものでした。続きは次号にて。

 

もしび                  
第七十九号  

儲けとツキを呼ぶ「ゴミゼロ化」の秘密2

 先月「儲けとツキを呼ぶ『ゴミゼロ化』工場の秘密」という本について書きました。経営難に陥った町工場が、清掃活動に取り組むことによって、劇的なV字回復を果たした話です。社長はわらにもすがる思いで、財団法人・下請け振興協会(現・大阪産業振興機構)で勉強を始め、「ポルフ活動」というものにチャレンジします。これは「整理・整頓・清潔・掃除」「職制の整流化・目標管理」「作業規律」「省エネ・省資源」など、多岐にわたるチェック項目が20もあるものでした。これだけの部分を聞いても、
「複雑で規模の小さい町工場には向いてないのではないか?」
ということを感じます。実際にもまさにその通りの展開で、身の丈にあっていなかったためあえなく挫折、しかし一度や二度の失敗であきらめていたら会社がつぶれてしまいます。何度目かの講習会で、京都にあるタナカテックという会社の工場見学に行き、そこの会社の分かりやすい生産管理システム、ピカピカな工場、そして社員までもが明るくピカピカに輝いている姿を見て、衝撃を受けます。向こうの会社は社員数30人で、企業の規模も仕事の内容もほぼ同じ、いいものが見つかったら徹底的にまねをすることにしました。
 この「いいものは徹底的にまねをする」という姿勢はとても大切です。私は大学受験指導を専門にしていますが、どうやったら希望大学に合格するのかというと、過去に合格した人をまねて、失敗してしまった人と同じようなことをしないようにすれば、どんな人でも必ず受かります。非常に多いパターンが、スマホのゲームが一日手放せないとか、全然勉強していないとかの状態で、どうしたら大学に入れますかと聞かれることです。不合格の人の行動パターンそのままの道を進んでいますから、それで結果だけは違ったものにしてほしいと言われても、無理としかいいようがありません。
 かつてはタナカテックも同様に赤字体質で経営が危なかったそうですが、あるコンサルタントの先生の指導を受け、今の優良企業に生まれかわったのだということが分かりました。社長は大喜びでコンサルタントの先生のところに行きますが、そこで現実を突きつけられます。2時間のコンサルタント料金が、社員1か月分の給料に相当する高額なものだったのです。 社長はこのときの教訓を次のように書いています。
 経営革新は、本当に業績が悪くなった時に始めても遅いのだ、体力のあるうちに会社の問題点を探り、改善に取り組まないといけないのだ。「後の祭り」とはこのことで、わが社にはもうコンサルティング料金を払うだけの体力がない。
 非常に含蓄のある言葉です。下世話な話で大変恐縮ですが、資本主義社会でお金がないということは、首がついていないのと同じくらい致命的なことなのです。むろん、お金で決して買えない大切なものは当然あり        xxxxだ、お金がないとどうしようもなくなるものが、おそらく世の中のすべての物のうち95%くらいはあります。極端な例ですが、無一文だと遺体の火葬すらできません。つまり、死ぬことにも必ずお金が必要になるのです。ただのものは空気くらいしかありません。福沢諭吉が、
「暗殺は別にして、世の中で借金ほど怖いものはない」
と言いましたが、まさに同感です。
 そこで社長が考えたのは、同様にして困っている会社集まって、コンサルティングを受けるという方法。最終的に6社合同になったそうですが、これは非常に上手なやり方でした。一つは経費が6分の1で済むこと、もう一つは、同じくコンサルティングを受けている企業同士の競争心の芽生えです。
 これには二つの長所があります。一つは経費の節約で、コンサルティング料金が6分の1になるのですから、経費としてもとても助かります。もう一つは、同様にコンサルティングを受けるところがあると、「あそこには負けられない」と一生懸命になることができるという点です。私もずいぶんいろいろな分野で人をお教えする機会が多いのですが、一番良いのは、良い意味でのライバルに恵まれることです。誰しも一人で頑張るには相当なエネルギーを必要とするものですが、「あいつには負けたくない」という相手がいると、励みと意地によって挫折することが極めて少なくなります。受験勉強も一緒です、よいライバルを持つことは成功の礎になるのです。続きは次号にて。

        合掌
522-0342  滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地
電話  0749-48-0335  FAX  0749-48-2679  
高野山真言宗清涼山不動院         

 

ともしび                  

第七十九号 

儲けとツキを呼ぶ「ゴミゼロ化」の秘密2

 

 先月「儲けとツキを呼ぶ『ゴミゼロ化』工場の秘密」という本について書きました。経営難に陥った町工場が、清掃活動に取り組むことによって、劇的なV字回復を果たした話です。社長はわらにもすがる思いで、財団法人・下請け振興協会(現・大阪産業振興機構)で勉強を始め、「ポルフ活動」というものにチャレンジします。これは「整理・整頓・清潔・掃除」「職制の整流化・目標管理」「作業規律」「省エネ・省資源」など、多岐にわたるチェック項目が20もあるものでした。これだけの部分を聞いても、

「複雑で規模の小さい町工場には向いてないのではないか?」

ということを感じます。実際にもまさにその通りの展開で、身の丈にあっていなかったためあえなく挫折、しかし一度や二度の失敗であきらめていたら会社がつぶれてしまいます。何度目かの講習会で、京都にあるタナカテックという会社の工場見学に行き、そこの会社の分かりやすい生産管理システム、ピカピカな工場、そして社員までもが明るくピカピカに輝いている姿を見て、衝撃を受けます。向こうの会社は社員数30人で、企業の規模も仕事の内容もほぼ同じ、いいものが見つかったら徹底的にまねをすることにしました。

 この「いいものは徹底的にまねをする」という姿勢はとても大切です。私は大学受験指導を専門にしていますが、どうやったら希望大学に合格するのかというと、過去に合格した人をまねて、失敗してしまった人と同じようなことをしないようにすれば、どんな人でも必ず受かります。非常に多いパターンが、スマホのゲームが一日手放せないとか、全然勉強していないとかの状態で、どうしたら大学に入れますかと聞かれることです。不合格の人の行動パターンそのままの道を進んでいますから、それで結果だけは違ったものにしてほしいと言われても、無理としかいいようがありません。

 かつてはタナカテックも同様に赤字体質で経営が危なかったそうですが、あるコンサルタントの先生の指導を受け、今の優良企業に生まれかわったのだということが分かりました。社長は大喜びでコンサルタントの先生のところに行きますが、そこで現実を突きつけられます。2時間のコンサルタント料金が、社員1か月分の給料に相当する高額なものだったのです。 社長はこのときの教訓を次のように書いています。

 経営革新は、本当に業績が悪くなった時に始めても遅いのだ、体力のあるうちに会社の問題点を探り、改善に取り組まないといけないのだ。「後の祭り」とはこのことで、わが社にはもうコンサルティング料金を払うだけの体力がない。

 非常に含蓄のある言葉です。下世話な話で大変恐縮ですが、資本主義社会でお金がないということは、首がついていないのと同じくらい致命的なことなのです。むろん、お金で決して買えない大切なものは当然あります。ただ、お金がないとどうしようもなくなるものが、おそらく世の中のすべての物のうち95%くらいはあります。極端な例ですが、無一文だと遺体の火葬すらできません。つまり、死ぬことにも必ずお金が必要になるのです。ただのものは空気くらいしかありません。福沢諭吉が、

「暗殺は別にして、世の中で借金ほど怖いものはない」

と言いましたが、まさに同感です。

 そこで社長が考えたのは、同様にして困っている会社集まって、コンサルティングを受けるという方法。最終的に6社合同になったそうですが、これは非常に上手なやり方でした。一つは経費が6分の1で済むこと、もう一つは、同じくコンサルティングを受けている企業同士の競争心の芽生えです。

 これには二つの長所があります。一つは経費の節約で、コンサルティング料金が6分の1になるのですから、経費としてもとても助かります。もう一つは、同様にコンサルティングを受けるところがあると、「あそこには負けられない」と一生懸命になることができるという点です。私もずいぶんいろいろな分野で人をお教えする機会が多いのですが、一番良いのは、良い意味でのライバルに恵まれることです。誰しも一人で頑張るには相当なエネルギーを必要とするものですが、「あいつには負けたくない」という相手がいると、励みと意地によって挫折することが極めて少なくなります。受験勉強も一緒です、よいライバルを持つことは成功の礎になるのです。続きは次号にて。

 

        合掌

522-0342  滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地

電話  0749-48-0335  FAX  0749-48-2679 

高野山真言宗清涼山不動院 

ともしび                  
第八十号  四月二八日発行
儲けとツキを呼ぶ「ゴミゼロ化」の秘密3

 大阪の社員たった12名の町工場が、清掃活動によってよみがえった話の続きです。まずは「整理」ということで、6か月以上使っていないものは例外なく捨てるというル-ルを作った結果、20万以上する機械も、2年以上使っていなかったので捨てました。極め付きがオフコン一式で、購入当時1000万円以上もしたのですが、これも捨てました。結果的に2トン以上を捨て、処分費用は10万円にもなりました。
 そうなのです。今や、不要なものを処分するのも有料の時代なのです。昭和はじめ頃の世代の方が亡くなると、その遺品の整理にものすごい手間とコストがかかるのが普通です。一昔前は物がなかった時代ですから、この世代の方には根源的に物に対する飢餓感のようなものがあります。物の豊かさが生活の豊かさに直結していた時代なのですが、現代においては単なるゴミ屋敷に過ぎません。不法投棄も焼却もやりたい放題だった時代はとっくに過去のものですので、社長の「半年使わないものは処分ルール」はうなずけます。不要なものを捨てまくった社長の感想を以下に紹介します。
 これだけのものが狭い会社の中に詰まっていたのです。捨ててみたら、工場の作業スペースが大きく広がりました。社内がすっきりして、明るい雰囲気に変わりました、不必要なものを捨ててみると、心まですっきりするから不思議です。社員たちも汗だくになって廃棄しながら、爽快感(そうかいかん)を味わっていました。不必要なものがあふれてよどんでいた空気が、整理することで動き出したのです。いま実感していることは、すっきりとした職場環境は社員の愛社精神も高めるということです。使っていないものは、いわばいわば死んでいる状態であって、すぐに腐敗していきます。そういったものに囲まれていると、人間は無意識のうちに不快を感じるものなのです。創業以来、50年間分の不用品がたまっていたわが社は、社員にとってさぞかし不快な空間だったことでしょう。
 これは個人の家にも言えます。私も私のいとこも、代替わりして真っ先にやったのは徹底的なゴミ捨てで、2トントラック何台分になるのだというレベルの廃棄の山でした。これはどの家庭でも同じ状況のようで、残っているものはほとんど不用品とイコールであり、基本的に全部捨ててかまわないと思います。不要なものを捨てると、我が家はこんなに広かったのかと実感し、非常にすがすがしい気持ちになります。不用品の多さと人間の心の荒れ方には強い相関関係があります。仕事がらネグレクト(育児放棄)の家庭をいくつか知っていますが、みな一様に家の中は不用品にあふれて足の踏み込み場もない状態でした。乱れた環境は人の心を間違いなくすさませます。
 次に社長が取り組んだのが「整頓」です。整頓とは、整理して残った必要なものを使いやすいように、いつでも誰でも、必要なものをすぐに取り出せるように並べ置くことですが、これにもルールがあります。すべての備品を、「いつでも同じ場所(定位置)」に、「同じ量(定量)」を「同じ方向」に置くというものです。たとえば、「ボールペンは、位置は机の右上の引き出しに、量は一本、向きは机と平行に置く」というように、いちいち決めていったそうです。この効果は二つあります。一つは、社員が無駄なものを購入しなくなり、経費が大幅に節約されたことです。ボールペンが必要でも会社の中がぐちゃぐちゃでどこにあるのかわからず、必要なたびに社員が購入していたため、社長が会社を整理したら使われないままのボールペンが山のように出てきて、おそらく次の代まで購入せずにやっていけそうなくらいの数だったそうです。もう一つが、無駄な時間の短縮です。それまでは作業現場がめちゃくちゃな状態だったため、必要な工具を探すのに、社員が一日平均30分かけていたということがわかりました。社員が12名でしたから、1年間では30分×12名×268日=9万6480分、時間に直すと1608時間、201日が無駄になっていたのです。これを一人あたりに換算すると1年に130時間となり、一か月の労働時間と同じです。つまり、以前のこの会社は1年間につき1か月分は、何も生み出さないもの探しのために社員に給料を払っていたのです。
 私自身、資料は必ず決められた位置に置く習慣にしています。でないと、8社の出版社で原稿を書いていますから、順番が乱れたりすると収拾がつきません。机は必ずきちんと整頓しておく必要があるので、その結果、面白いことに私の机の上には、職場一、忘れ物が置き去りにされているので有名です。机の上がいつも片付いて広々としているため、他の人が、私がいない間に作業机として借り、そのまま忘れ物をしてしまうのです。乱雑な机の人は仕事ができません。作業効率が悪いから当然なのです。

        合掌
522-0342  滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地
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