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不動明王

お不動様の詳しい話  

     

お不動様の起源

お不動様の正式なお名前は「不動威怒明王(ふどういぬみょうおう)」と申します。これを略して「不動明王」「不動尊」とも、「無動尊(むどうそん)」とも言います。インドでは「アチャラ・ナータ」という名で、七世紀の後半ごろに密教の明王として登場されたようです。仏様のお名前に「明王」または「天」という名称がつくのは、もともとは仏教の仏様ではなく、他の宗教の神様だったものが仏教に取り入れられたケースが多いのです。お不動様の場合、もとはヒンズー教の最高の神様であるシヴァ神なのではないかと言われていますが、詳細は分かっていません。インドや中国、朝鮮ではあまり不動明王像は造られなかったのですが、なぜか日本では昔から、お不動様への信仰が非常に盛んです。弘法大師が「不動使者秘密法」というお経を中国からお持ち帰りになっておられますので、密教寺院ではたくさんのところがお不動様をお祀りしているほか、修験道(山伏のこと)でもお不動様が信仰の中心となっています。

 

憤怒のお姿の意味は

 お不動様の一番の特徴は、その恐ろしいお姿にあります。激しい怒りの姿のことを、仏教では「憤怒(ふんぬ)」と言います。我々の怒りは煩悩の一つで、取るに足らないことに対しての怒りなのですが、お不動様の怒りは対象が違います。人間に害をなす邪霊や災難、そして我々を惑わせる煩悩の心に対する怒りなのです。私たちを守り、正しい道に導いてくださるがための怒りのお姿なのでありまして、大きな慈悲のお心を持っておられるからこそ、お不動様はこのお姿をされているのです。大日如来が必要に応じて姿を変えられたのがお不動様であり、平和な時や穏健な相手には大日如来のお姿で、緊急事態や煩悩から離れられない相手には、お不動様の怒りのお姿になって導いてくださるというわけです。お肌の色が青黒いのも怒りの表現の一つです。つまり、「顔色を変えて怒る」という状態を表しており、「青黒(せいこく)色は慈悲の憤怒(ふんぬ)の色」であると言われております。

 

お不動様のヘアスタイル

お不動様の頭に蓮花の花がある場合がありますが、蓮花は大日如来の象徴と言われており、お不動様が大日如来の化身であることを表しております。

また、お不動様は髪の毛を七つにたばねて結んでおられます。これを「七莉髻(ひちしゃけい)」と呼びます。インドでは六の数が最大とされていたので、それを越える七の数字は「永遠」の意味があり、永遠、無限に慈悲の活動を続けようというお不動様のお気持ちをあらわすものとされています。

さらに、結んだ髪の左の方を長く垂らしておられます。これを「弁髪(べんぱつ)」と呼び、髪の垂れている左側は、我々のいるこの世界を表しております。お不動様が左側だけ長い髪を垂らしておられるのは、深い慈悲の心を持って我々を見てくださっていること、ちょうど母親が一人っ子を見るのと同じ心であることの象徴だと言われております。

 

お顔の特徴

 額に深く刻まれている皺(しわ)もお不動様の特徴の一つで、他の仏様には見られません。これは我々が煩悩の苦しみに沈んでいるのを目にして心を痛めておられるからだと言われており、どのような者にでもわけへだてなく平等に慈愛の手をさしのべようとされているお心の表れです。

 一般的なお不動様は片方の目を見開き、片方の目をつぶっておられます。左目をつぶっておられるのは邪霊を屈服させるためと言われていますが、ごく早い時期のお不動様は両目を開き、時代があとになると左目を閉じたお姿が増えてきます。当寺のお不動様は大変古い時代のものですので、両目をかっと見開いておられます。密教に伝わる口伝によりますと、片目を閉じておられるお不動様は修行の時のお姿、両目を開いておられるのは修行が完成し、悟りが成就した時のお不動様の姿を写したものであると言われております。また、一般のお不動様は口を閉じ、牙を一方は上に、一方は下に向けておられます。牙を上と下に向けるのは天の上と地の下にいる悪霊を威嚇するためと言われていますが、当寺のお不動様の場合は両目と同様、かっと開いておられるのが特徴で、これも非常に古い時代のお不動様ならではのお姿です。

 

右手の剣はお不動様のシンボル

 お不動様のシンボルマークが右手に持たれた剣です。これは智慧(ちえ)の剣と呼ばれており、災難や我々の悪い心を切り裂き、お不動様が知恵によって正しい方向に導いてくださるための剣です。普通の説教では言うことを聞かない強情な相手には、お不動様はこの剣で押さえつけ、身動きがとれないようにしてしまわれます。これを「折伏(しゃくぶく)」と申します。お不動様を表す文字はサンスクリットの「カン」という文字ですが、この文字はお不動様の知恵の剣の象徴です。

この利剣だけでお不動様を表す場合もあり、まさにお不動様の知恵と力のシンボルです。当寺院の御詠歌(ごえか)に「不動尊御剣御和讃(ふどうそんみつるぎごわさん)」があり、その他の御詠歌でも知恵の剣のことが繰り返し歌われているのもそのためです。

この剣は正式には「倶利伽羅(くりから)剣」と呼ばれまして、倶利伽羅龍神(くりからりゅうじん)が巻き付いているものもあります。倶利伽羅龍神は要するに龍神様のことで、当寺でもお不動様の手前にご神体の鏡があるのは、お不動様に大変縁の深い龍神様をお祀りしているからです。龍神様の起源はインドのコブラでありまして、密教ではやはり知恵の象徴となっております。

 

その他の特徴

 お不動様は左手に縄を持っておられます。これは正式には「羂索(けんざく)」と言い、知恵の剣で押さえつけた相手をすくい取って助け導くためのものです。

背後の火焔は我々の無知を焼き尽くす知恵の火であるとされております。一般的なお不動様の火焔は背後にだけ燃え上がっておりますが、当寺院のお不動様の火焔は前後左右にわたって燃えあがっており、四面にわたって火焔が広がっていることから「四面火焔不動尊(しめんかえんふどうそん)」というお名前で呼ばれております。

 最後にお不動様の足下についてご説明いたします。一般の仏様は蓮の花の上に座っていらっしゃる方が多いのですが、お不動様の多くは大きな岩の上に立っておられます。この大岩のことを「大盤石(だいばんじゃく)」と申します。今でも絶対大丈夫なことを「大盤石だから安心だ」という言い方をするのは、このお不動様のお姿からきたものです。永遠に動じない確固たる信仰心の象徴がこの大岩でありまして、いかなる苦難にも動じない仏様ということで、お「不動」様という名前がつくこととなりました。この大岩は一説によるとヒマラヤ山を表すそうで、世界の最高峰の山のように動じない、大変偉大な仏様がお不動様なのです。

 

お不動様の真言

ノウマク サンマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン

訳 暴悪なる大憤怒尊よ 打ち砕け フーン トラット ハン マーン

「暴悪」とは、「非常に荒々しいこと」です。

「大憤怒尊」とは、最初に説明したように、「慈悲の心をお持ちであるがゆえに、大いなる怒りの姿をされている仏様」ということで、お不動様のことをさします。

「打ち砕け」というのは、「災難や我々の悪い心を打ち砕いてください」とお願いしているわけですね。

最後の「フーン トラット ハン マーン」は、お不動様が災難や悪い心を打ち砕かれる時のかけ声で、日本で言うと「エイヤ タア トオ」にあたります。    

合掌

522-0342  滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地

電話  0749-48-0335  FAX  0749-48-2679 

高野山真言宗清涼山不動院  

大日如来

大日如来の詳しい話

       

大日如来とは

悟りを開いた方のことを「如来」と呼びます。釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来などの仏様が如来さまです。このような仏様はもともとは人間でしたが、修行をされて悟りを開かれ如来になられました。それに対して大日如来は宇宙そのものを仏様として表したといえるもので、もとが人間だったということはありません。他の如来様は僧侶の衣を着ておられますが、大日如来は冠をかぶり、さまざまな装飾品を身につけておられます。これは密教が成立したころの王族の身なりを表しており、大日如来が宇宙そのものの存在であるため、特に王者の姿で表されるのです。この仏様が状況によって姿を変えられたのが不動明王であり、不動明王の剣が智恵の象徴であったのと同様に、大日如来がかぶっておられる冠や宝石も知恵を表しております。

 

金剛界曼荼羅とは

 大日如来の徳を表すのに、二つの表現方法があります。一つが金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)であり、もう一つが胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)です。両方とも向かって右側、観音様やお釈迦様をお祭りしております部屋の入り口の上に、金剛会曼荼羅と胎蔵界曼荼羅が掲げてありますので、ぜひご覧ください。二つある曼荼羅のうち、右側が金剛界曼荼羅です。曼荼羅はこの世界そのものを表しており、全体が九つの正方形で区切られているのが金剛界曼荼羅です。この九つの区切りは、大日如来の徳を九つの分野で表したものだと考えていただいたらよいでしょう。怒りの姿の仏様ばかりのところもあり、お不動様はこの箇所におられたりします。

描かれている仏様もお姿も違いますが、どれも大日如来が姿を変えたものです。たとえて言うなら、地球の様子を表すのに写真を撮ると、赤道直下では熱帯雨林、北極では雪と氷、中近東では砂漠、アジアでは一面の水田が広がる景色が写りますが、どれもが地球の表面の様子を写したものであることに変わりないのと同じです。大日如来はこの曼荼羅の中心、一番上のところに描かれており、智拳印(ちけんいん)という手の組み方をされておられるのが特徴です。

智拳印はまるで「ドロドロッと姿を消すときの、忍者の手の形」のようです。実は「似ている」のではなく、本当に忍者は智拳印を結んで隠遁(いんとん)の術をかけるのです。なぜ忍者が智拳印を結ぶのかというと、何のことはない、忍者のルーツは真言密教の僧侶だったからなのです。和歌山県にある根来寺(ねごろじ)は新義真言宗の大本山ですが、ここの真言密教僧が武装化し、根来衆(ねごろしゅう)として日本で最初の忍者となりました。金剛界大日如来は本堂向かって右側にお祭りしております。

 

御真言は 「オン アビラウンケン」です。

訳 オーン 金剛界如来よ ヴァン                   

 

「オーン」や「ヴァン」というのは、いわば「かけ声」と思っていただいたら結構です。

大日如来のお名前をお呼びしているような真言ですね。

                             

胎蔵界曼荼羅とは

 こちらが胎蔵界曼荼羅で、大日如来はこの曼荼羅の中心にいらっしゃいます。大日如来を取り囲むようにしてさまざまな仏様が描かれています。これは、宇宙の中心が大日如来であり、すべてのものが宇宙の中心から渦巻き状に流れ出している様子を表しています。恒星や惑星が渦を巻いて銀河系が出来ていますが、胎蔵界曼荼羅はまさにこの構造と同じです。最先端の科学と密教の教えはぴったり一致するものが大変多く、実は非常に科学的な宗教なのです。ノーベル賞を取った物理学者で仏教徒になった人がかなりいるくらいです。ここでは大日如来は法界定印(ほうかいじょういん)という手の形をされておられます。心を落ち着けるときの印で、座禅を組む時にはこの形に手を組みます。胎蔵界大日如来は、本堂の向かって左側にお祭りしております。

 胎蔵界曼荼羅については、二つのことをぜひお話しなければなりません。一つめは、大日如来を取り巻いて様々な仏様がおられますが、その中には私たち一般の人間もちゃんと入っているということです。人間だけではありません、猫も犬も昆虫も、その辺りに生えている草も、命のあるものはすべて、もっと言うなら岩や土や川まで、この宇宙にあるものは全て大日如来を中心とした曼荼羅に入っている仲間なのです。ちょうど全ての生物がつながりあって生態系を形作っているという、今はやりの「エコ」の考え方と全く同じです。ということは、私たちのような平凡な人間であっても、必ず「仏心(ぶっしん)」という大日如来の種子をいただいているということになるわけです。二つめは、この曼荼羅の中で完全無欠なのは中心の大日如来だけである、ということです。それ以外はたとえ仏様であっても、どこか足りないところや欠点があるわけです。短所や欠点があるのはお互いさまで、足りないところがある者同士が手をつないで協力し、助け合って初めてこの世の中が成り立つのです。

 大日如来をはじめとして、仏様には全てシンボルマークがあります。お不動様はカン字といい、当寺院で出しておりますお経の表紙の文字としておなじみですね。これはサンスクリット文字といい、大昔のインドの言葉ですが、これらの文字と仏様は全く同じであるとされています。一般には仏様のお姿を描いたものが曼荼羅だと思われていますが、仏様のシンボルの文字ばかりを描いた「法曼荼羅(ほうまんだら)」というものもあり、これも普通の曼荼羅と全く同じであると言われております。

 

御真言は 「オン バザラ ダトバン」です。

訳 「オーン ア ヴィ ラ フーン クハン」

ほとんどかけ声ばかりの御真言であります。

 

金剛界・胎蔵界の両界をあわせた真言は

「オンアビラウンケン バザラダトバン」です。

 

両方の大日如来のお名前が一度にお唱えできるので、この真言が一番よく使われております。

 

合掌

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高野山真言宗清涼山不動院   

愛染明王の詳しい話  

     

女性からの人気No1

不動院には実にたくさんの仏様がまつられていますが、女性からの人気No1というと、愛染明王がダントツの首位です。若い女性が「実は相談事が」と言って電話をかけてこられると、100%の確率で恋愛相談でありまして、ほとんどの場合「愛染明王縁結び祈祷」をお願いされます。縁結びのお守りに至ってはほとんど修学旅行の生徒向けか?と思われるようなファンシーなデザインですが、これがまた、非常に人気があります。

愛染明王は弓矢をつがえた愛の仏で、ギリシャ神話の エロス(ローマ神話のキューピッド)と同じルーツであります。現在のイラクあたりで信仰されていた愛の神様が、西に伝わってキューピッド、インドに入って愛染明王となりました。弓と矢でハートを射られると、相手のことが好き好きになってしまうという展開も全く同じです。

考えてみれば、一般の仏教では「欲を捨てよ」と説くのが普通です。ましてや色恋沙汰を神仏に祈るとは、罰当たりもいいところというのが一般的な考え方でしょう。分不相応な欲を慎むのは絶対に必要で、いらぬ欲をかいて不幸を自ら招いていることも多いのですが、では欲を全てなくしたら問題が解決するのかというと、これはこれで深刻な話になってしまいます。生物の二大欲求というと食欲と性欲ですが、食欲が全くなくなったら拒食症ですから治療の対象、性欲が全くなくなっても、これもまた病人で治療してもらわないといけません。だいたい、物を何も食べないと確実に死んでしまいますし、性欲がなくなって結婚も出産もしなくなったら、その種族はおしまいです。お釈迦様が生きておられる時代に、古代インドの国王で

「お釈迦様の教えは非常に立派だが、皆が出家して子供を作らなくなってしまうと、国が滅んでしまう」

という心配をしている人がいました。非常に頭のいい王様だと思います。

だいたい、必要な欲に迫られて神仏にすがるきっかけが出来るわけで、それを機会に信仰の道に入ればよいと考えるのが真言宗の特徴です。ですから当宗派では「欲望を持つのは悪いことではない、むしろいいことである」ということを主張し、他宗派であまり相手にしない現世利益と正面から向き合っております。愛染明王はその点がもっと徹底している仏様で、人間の煩悩(ぼんのう)としての愛欲(あいよく)を、そのまま仏の悟りに変える力をもつ仏様です。そして愛欲煩悩がそのまま菩提(ぼだい=仏様の心)であることを示し、愛を成就させてくださいます。愛染明王は人々を救うに際して十二の誓いを立てておられるのですが、最初は

「智慧(ちえ)の弓、方便(ほうべん)の矢をもって愛敬(あいぎょう)を与え幸運を授けよう」

というものです。手に持ってられる弓は智恵の弓であり、矢は方便の矢です。方便とは、仏様の教えを説くのに、そのままでは難しくて我々庶民には理解できないので、わかりやすくたとえ話や仮の姿を使って理解させ、仏様の世界に導くことです。愛敬とは、愛情と円満な人間関係のことをさします。そのほかは災難を除くとか、長寿を与えるとかが続くのですが、最後の二つは、

「女人には愛を与えて良縁を結ばせ、よい子どもを授けてやろう」

「女人にはお産の苦しみをまぬがれさせ、生まれた子には福と徳を授け、すこやかな子どもにしてやろう」

というものになっており、まさに女性限定の誓いとなっており、そのため古来より女の人に大変な人気がある仏様です。

 

弘法大師が日本に持ち込んだ仏様

非常に現世利益の傾向が強い仏様なので、真言宗でよくまつられています。愛染明王を日本に持ち込まれたのは他ならぬ弘法大師です。人間にはさまざまな欲望がありますが、この欲 望は人間には滅亡へとかりたてる力を持つとともに、時には生きて行くうえでの活力源となり、より多く のものを可能にし、高める力を持っています。この両刃の剣である力強い欲望の工ネルギーを、悟りを求め自らを高めようとする積極的なエネルギーに浄化しようというのが愛染明王の教えです。この仏様は一般の方にとってはとてもご利益がありますが、仏師のような立場の人間にとってはとても恐ろしい仏様として知られ、 仏像を専門に彫っている仏師の人達の間では『愛染明王を彫ったら命を取られる。』と言われるほどです。当寺院の愛染明王を修理に出した際も、仏師の方から『くれぐれも魂だけはしっかりと抜いておいて欲しい。でないと、えらいことになるから。』と何度も言われました。

 

御真言には2種類があります。

小呪 ウンタキ ウンジャク大呪 オン マカラギャ バゾロ シュニシャ バザラサトバ ジャク ウン バン コク

訳(大呪) オーム 大愛染(だいあいぜん) 金剛最勝尊(こんごうさいしょうそん)よ 金剛薩埵(こんごうさった)よ ジャク ウン バン コク

                                    

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高野山真言宗清涼山不動院                

愛染明王

薬師如来の詳しい話 

      

現世利益を施す唯一の如来

不動院の起源は非常に古く、敏達天皇の時代にまでさかのぼりますので、今から1400年も前の創建になります。高野山が開かれて約1200年ですから、それより更に200年も古いわけで、平安よりも奈良時代よりも更に前、飛鳥時代にまでさかのぼってしまいます。

平安時代後期になりますと、天変地異や政情不安があいつぎ、日本中に末法思想(まっぽうしそう)が大流行しました。末法思想というのは、世の中が乱れ、まともな仏法を説く者もいなくなり、この世はまさに「世も末(よもすえ)」の状態になってしまったので、生きている間の幸せを祈るのはとても無理、せめて死んでからの極楽往生を願おうというものです。極楽往生と言えば阿弥陀如来というわけで、阿弥陀如来にすがる浄土思想(じょうどしそう)というものが、平安時代末から非常に盛んになりました。滋賀県は非常に浄土系の寺院が多いところで、浄土系がまるで仏教のスタンダードのように思われてもいます。実際には、全国で一番寺院数と門徒が多いのは真言宗なのですけどね。

平安後期以前にも阿弥陀如来はまつられていたのですが、奈良時代に人気があったのは圧倒的に薬師如来のほうでした。奈良に今でも「薬師寺」や「新薬師寺」があるのはそのためです。阿弥陀如来は西方浄土(さいほうじょうど)と言って、人が死んだあとの、西のほうの「あの世」を守って下さる仏様です。それに対して薬師如来は東方瑠璃光浄土(とうほうるりこうじょうど)と申しまして、東にある世界を守ってくださるのですが、東方の世界というのは他ならぬ、この世のことなのです。つまり、死後の世界の担当が阿弥陀如来、現世の担当が薬師如来というわけです。

そういうわけで、平安時代前期頃までは、何か願い事があると薬師如来像を造っておまつりするということが盛んに行われていました。のちに「更級日記(さらしなにっき)」という作品を書いた菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)という女の子は、当時なかなか手に入らなかった「源氏物語(げんじものがたり)」がどうしても読みたくて、等身大の薬師如来像を作り、毎日「源氏物語を存分に読ませてください」と願をかけたところ、本当に源氏物語が手に入って狂喜したくらいです。もう少し深刻な問題に対して神仏に祈りなさいと言いたい気もかなりしますが(本人も中年以後に『あれはやりすぎた』と反省しています)、当時は「現世で困ったら薬師如来にお願いする」という風潮でした。

そもそも、「如来」と名前のついている仏さまは、完全に悟りを開いてしまって仏様の世界に行ってしまわれているので、現世利益のような庶民的な悩み事に直接かかわられることはありません。そのため、大日如来や釈迦如来、阿弥陀如来をすえて祈祷をすることは全くないのですが、如来の中で唯一、薬師如来だけ祈祷があり、「薬師護摩(やくしごま)」という護摩祈祷まで存在します。これもひとえに、薬師如来が現世担当の仏様であるためです。不動院は最初に書いたように非常に古い時代から続いている寺院ですので、末法思想や阿弥陀如来信仰の影響を受けておらず、奈良の昔と同様、薬師如来のほうがまつられており、祈祷や護摩も行っております。

 

広範囲にわたるご利益

当寺院では、薬師如来に祈って開運全般のご祈祷を行っておりますほか、古来より眼病に霊験あらたかと言われている仏様ですので、目の病気に悩んでおられる方は、基本的に薬師如来にお願いしてご祈祷をしております。薬師如来は阿弥陀如来とほとんど同じお姿をされており、違いと言えば薬師如来が左手の上に薬壺(くすりつぼ)を持っておられることぐらいです。この壺の中の薬で人々の病気を治してくださるのです。薬師如来のご真言には「除去せよ、除去せよ」という意味の言葉が入っていますが、「壺の中の薬で病を治してください」というお願いの内容です。薬師如来には「十二神将(じゅうにしんしょう)」という十二人の武将が部下として従っており、薬師如来の命令で人々の災難を除き、願いを叶えます。

余談ですが、古くなるにつれて薬師如来が手に持っておられる薬壺が、破損してなくなっていることが非常に多くなります。そうなると、薬師如来と阿弥陀如来の見分けをつけるのが非常に難しくなり、薬師如来であったはずの仏様が、後世になると阿弥陀様としてまつられていることが結構あります。専門家がきちんと鑑定すると、実は薬師如来だったということが初めて分かったりします。仏様に対して真言を唱えるのに、別の仏様の真言を唱えたりしたらバチがあたるのではないかと考える人もおられるのですが、これは全く心配がないことが以上の例からも分かります。

 

御真言 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ

訳 オーム 除去せよ 除去せよ チャンダリーよ マータンギーよ スヴァーハー

                                    

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薬師如来

地蔵菩薩の詳しい話 

      

如来と菩薩の違いとは

悟りを開いた方のことを「如来」と呼び、大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来などの仏様が知られています。それに対して観音様やお地蔵様は正式な名称を「観自在菩薩」「地蔵菩薩」と言います。この「菩薩」というのは、修行を重ねてきてもう一歩で仏さまになれる段階まできたのに、あえて仏様になる直前でとどまって、他の者を救ってやろうという誓いを立てた方々のことです。悩みや心配事があったときに、いきなり最高裁判所に相談に行く人はいません。家族や先輩など、身近な人のほうがよほど相談もしやすいというものです。菩薩の方々があえて人間の段階でとどまっておられるのもそのためです。そういう事情ですので、菩薩の方々は仏様の姿ではなく、一般の人の格好をされています。観音様は当時の一般的な方々の衣装を着ておられますし、お地蔵様は出家したお坊さんの格好をされています。

ヘアスタイルは出家したお坊さんそのものであり、衣をまとい、手には錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうじゅ=宝の玉)を持っておられます。地蔵菩薩の「地」というのは文字通り「地面・大地」のことで、「蔵」というのは大地に宿る宝物、つまり農作物を育てる養分のことをさします。大地が全ての命をはぐぐむ力を「蔵(ぞう)する=持っている」ように、苦悩する人々をその無限の大慈悲の心でつつみこみ、救ってくださるところから「地蔵菩薩」という名前がつきました。お不動様が憤怒(ふんぬ)と智恵の仏様、大日如来が完全無欠の仏様なら、お地蔵様は慈悲の仏様ということになります。

 

地蔵菩薩と子供との関係とは

 当寺では向かって左側に水子地蔵様をお祭りしております。また、こちらの寺院うらから名神サービスエリアへ上がる山道の途中にもお地蔵様がおられます。こちらのお地蔵様の祠(ほこら)は小さくてあまり目立たないのですが、「子授けのお地蔵様」として有名で、私が知らないあいだに霊験あらたかな仏様として「るるぶ」に掲載されていたことさえありました。お地蔵様お地蔵様は自分の身を犠牲にしてまで弱い者を救ってあげようという強いお気持ちを持っておられます。地獄で苦しんでいる者を救うために自らあえて地獄に落ち、そこで苦しむ人々を救ってくださると言われているほどです。まさに「地獄に仏」とはこのことです。弱い者を最優先で救ってくださる仏様ですから、弱者である子供にはとりわけ優しく接してくださいます。幼い子供が死んでしまうと、親を大変悲しませるし親孝行の功徳も積んでいませんので、三途(さんず)の川も渡れず、賽(さい)の河原で鬼のいじめにあいながら、石の塔婆(とうば)つくりを永遠に続けなければならないとされていました。この子供たちを救ってくださるのがお地蔵様で、賽(さい)の河原に率先して足を運んで鬼から子供たちを守ってくださり、子供たちに仏法や経文を聞かせて功徳を積ませ、成仏への道を開いてくださります。

ここはかなり重要なところで、一般には「幼くして死んだ子供は、地蔵様が救ってくださる」という程度にしか思われていませんが、実際にはあの世で幼い子供たちはお地蔵様から経文や仏法について教えていただき、功徳を積んでいるのであります。となると、その子たちの親の方々も、ぜひ同様のことをしていただきたいものです。早くして死んだ子たちが仏法について一生懸命学んでいるというのに、親のほうが何もしないというのは、どう考えても具合がよくないでありましょう。「背負うた子に教えられる」とはまさにこのことです。当寺院が現代語訳つきの経典を配り、説法や法話に大変熱心なのはこのためであります。

御真言は 「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」です。

訳 ハ オーン ハハハ 稀有(けう)なるものよ スバーハー

「ハハハ」は、お地蔵様の笑い声、「ハ」「オーン」「スバーハー」は掛け声です。

「稀有なるもの」とは、「めったにお目にかかれないすばらしいもの」という意味で、お地蔵様のことをさします。

                                    

合掌

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高野山真言宗清涼山不動院

地蔵菩薩

釈迦如来の詳しい話

       

仏教の開祖

本堂右手部屋の奥、観音菩薩の右隣にいらっしゃるのがお釈迦様です。本名をゴーダマ・シッダッダといい。この方は古代インドに実在された方です。今からだいたい2400年前、現在のネパールあたりにあったシャーキャ国の王子としてお生まれになりました。お釈迦様という呼び名は、「シャカ族の聖なる人」という意味です。伝説によれば生まれたとたん七歩歩いて、右手で天を指し左手で地を指して

「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)=天の上にも下にも、自分が一番尊い」

と話したとされていますが、もちろん本当の話ではありません。死んでも人生がそこで終わるわけではなく、輪廻転生(りんねてんせい=生まれ変わりのこと)を繰り返すと説くのが仏教徒の特徴ですが、普通は六つの世界のどこかに生まれ変わるとされています。

 

その1 天道(てんどう)―天人の世界。寿命も我々人間よりはるかに長く、悩みもほとんどないのですが、仏様の教えには出会えません。人々に愛される「よい人」が亡くなったりすると、「○○さんはお空の星になった」という表現がよくされますが、お空の星の世界には、ちょうどこの天道くらいがふさわしいかもしれません。

 

その2 人間道―我々人間が住む世界で、苦しみも楽しみもある世界です。苦しみと楽しみの比率がどの程度の割合になるのかについては諸説あり、古代インド人は苦しみがはるかに多いと考え、生まれたばかりの赤ん坊が泣くのも「この世の苦を嘆いて泣くのだ」と考えたくらいです。真言密教や神道は「現世肯定」の考えが非常に強いので、悪くても苦しみ5に対して楽しみ5くらいで考えていると言えましょうか。

 

その3 阿修羅道(あしゅらどう)-阿修羅(戦いの神様)の住む世界です。戦いや争いがつきません。阿修羅はその後お釈迦様の教えを聞いて仏弟子となり、仏教を守護する仏様の一人となりました。戦いの神様なのに阿修羅はやたら「イケメン」でありまして、女性に圧倒的な人気があります。

 

その4 畜生道(ちくしょうどう)-牛馬など動物の世界です。ほとんど本能で生きております。個人的には無駄な欲がないから、この世界もそんなに悪くないのではないかとは思いますが、基本的に弱肉強食の世界なので生きていくのはやはり大変でしょう。

 

その5 餓鬼道(がきどう)-餓鬼道は餓鬼の世界です。餓鬼は腹が膨れた鬼の姿をしており、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい、飢えと渇きに悩まされます。旧暦7月15日には施餓鬼(せがき)という法要がよく行われますア、この行事は餓鬼を救うために行われます。小さな子供は食欲に関しては大変な執念を発揮しますので、子供をけなすとき「このガキが」という言い方をするのは、この餓鬼道に語源があります。

 

その6 地獄道―これは文字通り地獄のことです。さすがにここに生まれ変わるのだけは勘弁してほしいものです。お互い、日ごろの行いに気をつけましょう。

 

普通ですと生前の行いにより、以上六つの世界のどこかに生まれ変わるのですが、お釈迦様は真理を悟り、人間として初めて六つの世界の輪廻を飛び越されましたので、「七歩あゆんで」という表現がなされているのです。四月の花祭りにお釈迦様の像に甘茶をかけるのは、天の神々がお釈迦様の誕生を祝い、甘い味のする雨を降らせたという伝説によります。

 さて、小国ながら王家に生まれ、若いし頭はいいしきれいな奥さんをもらい、息子も誕生して順調そのものの生活でしたが、お釈迦様は29歳で地位も家庭も捨ててしまわれます。出家の動機を説明する伝説として有名なのが「四門出遊(しもんしゅつゆう)」のエピソードです。お釈迦様が城の東門から出ようとすると老人に出会いました。お釈迦様は「どのような人間にも必ず老いが来る」ことを思い知らされます。同様に南門では病人、西門では死者に出会って「誰しも必ず老い、病み、死ぬという苦しみからは逃れられない」ことを痛感され、最後に北の門から出た時に坊さんに出会い、「この苦しみから逃れるには出家して修行するしかない」と考えられたというものです。実際には、どんな人間も老病死という苦しみからは逃れられず、この苦しみから逃れるには仏弟子となって修行するしかないという教えを、分かりやすいたとえ話で説明したものです。

 

修行と悟り

29歳で出家されたお釈迦様は、当時のバラモン教で盛んだった難行苦行に挑まれます。その場に座っていられず、すぐに倒れてしまうほど大変な苦行だったそうです。私は高野山で修行しまして、冬は滝行、夏は護摩(ごま)でどんどん火をたき、断食も行いましたので、

「これはお釈迦様がのちに否定された、苦行そのものではないか」

と、当時思ったものです。ところがインドの苦行は、我々が想像するよりずっとすさまじく、ほとんどビョーキではないかと思われるレベルなのですね。詳しく書くと読んだだけで貧血起こす人が出るくらいです。このような修行をお釈迦様は6年もお続けになったのですが、さっぱり悟りが得られません。ついにお釈迦様は苦行の道を捨てることにしました。お釈迦様の父上(シャーキャ国の王様)は、お釈迦様の体を心配して護衛役も兼ねた修行僧を五人同行させていたのですが、この五人の坊さんはお釈迦様が苦行を放棄されたのを見て、お釈迦様はとうとう修行をやめてしまわれたのだと思い、お釈迦様を見捨てて鹿野苑(ろくやえん)という所へ去っていってしまったそうです。

 さて、一人残されたお釈迦様は体力の衰弱がはげしく、もう少しで死んでしまうところでした。ガンダーラ地方ではお釈迦様の苦行の姿をものすごくリアルに描写した仏像がよく作られています。本当に骨と皮の姿そのままで、いかに厳しい修行をされたのかがよく分かります。

 もう少しで死んでしまうところだったお釈迦様のもとへ、ある村娘(スジャータという子で、牛乳メーカーの名前になっています)がやってきて牛乳のおかゆを捧げ、それを飲んだお釈迦様はやっと体力を回復されました。そして菩提樹(ぼだいじゅ)の木の下で深い瞑想に入られ、ついに悟りを得られたのです。仏教誕生の瞬間です。とはいえ、仏教は他の宗教と若干異なるところがあります。キリスト教などの他の宗教は教祖がいて、その人が教えを説いて始まっています。ところが仏教の場合、お釈迦様が説かれた仏教の内容は、

  • この世に絶対のものはない

  • 全てのものに原因があって結果がある(「縁起(えんぎ)と言います」

  • 永遠のものはない、必ず滅するときが来る

    など、いわばこの宇宙の法則を述べたものです。お釈迦様が始めた教えというよりは、「誰も気がつかなかったことを初めて発見された」というのが正確な言い方になります。ちょうど、ニュートンが万有引力の法則を発見したようなものです。ニュートンの発見はたいしたもので科学の流れをがらりと変えてしまいましたが、ニュートンが万有引力を作ったのではありません。昔から飢えのリンゴは下に落ちるものと決まっていたのですが、そこに法則を見つけ出したのがニュートンの業績です。特に初期仏教ではこの傾向が強く、宗教というよりむしろ哲学や人生訓に近いものでした。

     もう一つの特徴は、身分制度を完全に否定して全ての人間を平等に扱ったことです。我々現代の日本人にとっては当たり前のことでしょうが、当時のインドでこの教えを説くのは画期的なことでした。現在に至るまでインドではカーストという強固な身分制度が続いており、仏教誕生の国であるというのにインドに仏教徒がほとんどいないのは、身分制度を否定したために他宗教に誹謗(ひぼう)され、そのために衰退してしまったのが主な原因なのです。

     お釈迦様は悟りを開いた当初は、この教えを誰かに説いても分かってもらえないだろうと考えておられました。それでは世の悩める者が救われないので、梵天(ぼんてん)という、元はバラモン教の神がお釈迦様に「世の人のためにぜひ教えを説いてくれ」とお願いされました。このことを「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」と申します。

     最初に仏法を説かれたのは、先にお釈迦様を見捨ててしまった元ボディガードの坊さんたち五人でした。五人はお釈迦様のお話を聞いてすぐにお弟子となり、その後、上は王族から下はカースト最下層の者に至るまで、ことごとく出家することになったのです。お釈迦様のお后や息子さんまで出家して弟子となったのですが、中でも有名なお弟子さんに舎利弗(しゃりほつ)という人がいます。この人は大変頭がよく、智恵第一と言われてよく仏典に登場します。般若心経は観音菩薩がお悟りになったことを、お釈迦様の弟子の舎利弗に語って聞かせるという内容になっています。お経の中に出てくる「舎利子(しゃりし)というのは舎利弗のことで、「~子」というのは「~さんよ」という呼びかけの言い方になっています。もう一人の有名なお弟子さんには、神通力(じんつうりき=いわゆる超能力のこと)第一と言われた目蓮(もくれん)という人がおり、この人の名前は阿弥陀経などに登場します。

     お釈迦様は教えを説きながらガンジス川の流域ほとんど全てを歩いて回られ、八十歳でお亡くなりになられました。今では人が死んだときに「成仏(じょうぶつ)した」という言い方をしますが、本当の成仏とは、仏の悟りを得ることなので、お釈迦様は35歳で悟りを得られた際にすでに成仏をされておられるのです。本当は生きている間に仏の教えを聞いて真理に目覚め、成仏するのが理想なのですが、平凡な我々は生きているうちに成仏するのが難しいと普通では考えられており、死に際して便宜的に仏の弟子となったとして戒名をさずけ、成仏したことにしております。真言密教では成仏は死んで初めてなされるものではなく、生きているうちにこの身このままで出来るものであると言う「即身成仏」の教えを説いておりますが、ちょうどお釈迦様が生前になされたことを目指しているとも言えます。

     

    御真言 ノウマク サンマンダ ボダナン バク

    訳 諸仏に帰命(きみょう)いたします。汝(なんじ)は尊いものなり

                                        

  • 合掌

  • 522-0342  滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地

    電話  0749-48-0335  FAX  0749-48-2679 

高野山真言宗清涼山不動院  

釈迦如来

大黒天の詳しい話

       

インド生まれの福の神

不動院には本当にたくさんの仏様がまつられており、それぞれの得意分野の祈祷があります。愛染明王は恋愛成就と家庭円満、文殊菩薩は合格祈願、学力向上ですが、商売繁盛というと何といっても大黒様でしょう。

不動院の大黒様も、米俵にお乗りになって福袋と打出の小槌(うちでのこずち)を持っておられ、微笑した長者(ちょうじゃ=お金持ちのこと)の姿をしておられます。この大黒様は、当寺院の欄間(らんま)をお彫りになった、上丹生(かみにゅう)の名工、澤田無人(さわだむじん)先生の作です。先生はこの大黒様を彫られてすぐにお亡くなりになられましたので、先生の遺作ということになり、二つとない大変貴重なものです。「大黒天商売繁盛祈祷法」という専門の祈祷がちゃんとありますので、盛んにこれを使っていますが結果が非常によく、会社を経営されている方々が熱心にお参りされておられます。

もともとはインドの別の宗教(ヒンドゥー教)のマハーカーラという神様で、後に仏教に取り入れられ、仏様としてまつられるようになったものです。大黒様のもとの姿は、日本でポピュラーな温厚そうなお金持ちのおじさんの姿ではなく、不動明王や愛染明王のような恐ろしい姿をしています。それもそのはず、元々は戦闘の神様だったのです。それが、日本に入ってきてから、日本にもともとおられた「大国主命(おおくにぬしのみこと)」という神様となぜか一緒になってしまい、今のような姿に形を変えられました。

大国主命と申しますと、「因幡(いなば)の白ウサギ」の話に登場する神様です。因幡の国(岡山県)に白いウサギがおりまして、向こうの島に渡る手段がないため、ワニザメをだまして橋代わりにしようとしました。ところが島に渡る寸前に嘘がばれてしまい、ウサギはワニザメに全身の毛をむしられて泣いていたのです。そこに通りかかったのが大国主命で、傷の手当ての方法を優しくウサギに教えてやり、感謝したウサギは、

「これから行く先で、あなたは国を治められるでしょう」

という予言をします。果たしてその予言の通り、大国主命は出雲の国を治めることになるというストーリー。王様になる成功立志伝でもありますので、考えてみれば商売繁盛の神様にはふさわしいものです。

また、大黒さまは、恵比寿(えびす)・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁財天(べんざいてん)・福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)・布袋和尚(ほていおしょう)とともに七福神の一人としても有名です。

 

七福神とはどのような仏様か

恵比寿天(えびすてん)

イザナミ・イザナギの間に生まれた子供を祀ったもので、もともとは漁業の神様でした。のちに大黒天と共に福の神として商売繁盛や五穀豊穣をもたらす神となりました。実は七福神のうち、唯一日本由来の神様です。

 

大黒天(だいこくてん)

インドのヒンドゥー教のマハーカーラ神が起源。日本古来の大国主命といっしょになり、食物・財福を司る神様となりました。

 

毘沙門天(びしゃもんてん)

元はインドのヒンドゥー教のクベーラという神様で、もともとは戦いの神でした。(だから武人の姿です)仏教に取り入れられてから、福徳増進の神としてしだいに民衆に信仰されるようになりました。

 

弁財天(べんざいてん)

七福神の中の紅一点で、元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーという神様です。のちに仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となりました。

 

福禄寿(ふくろくじゅ)

中国古来の宗教・道教(どうきょう)に由来し、天南星という仙人がモデルになっています。長寿と福禄をもたらすと言われています。

 

寿老人(じゅろうじん)

これも中国古来、道教の神様で、南極星の化身の南極老人(なんきょくろうじん)が元になっています。

 

布袋和尚(ほていおしょう)

中国に実在した禅宗の僧侶で、唐の末期の人です。その太っておおらかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれると言われています。

 

御真言 オン マカキャラヤ ソワカ

訳   オーム マハーカーラよ スヴァーハー 

                                    

合掌

522-0342  滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地

電話  0749-48-0335  FAX  0749-48-2679 

高野山真言宗清涼山不動院

大黒天

文殊菩薩の詳しい話    

   

三人寄れば文殊の知恵

「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあるように、抜群の知恵を誇る仏さまです。禅宗のお仏壇では中心に釈迦如来をまつり、両端に「脇仏」として観音菩薩と文殊菩薩をまつることになっていますが、文殊菩薩はかつてのインドに実在していた方で、舎衛国(しゃえこく)のバラモンの息子だったと言われており、実際にお釈迦様の重要なお弟子さんでした。当時から智恵第一の人として有名で、仏典に非常によく登場する方で、法華経の最初にも登場されています。法華経では、

「智恵第一をもって有名、何でも知っている文殊菩薩ですら見聞きしたことがないという、大変な奇跡がこれから始まる」

という書き出しで始まり、お釈迦様がとっておきの教えを説くという内容になっています。そのほか、「維摩経(ゆいまきょう)」というお経にも登場します。維摩居士(ゆいまこじ)という在家のおじさんとお釈迦様のお弟子が問答をしますが、維摩居士は坊さんでもないのに大変な智恵者で、お弟子たちは次々に言い負かされてしまい、とうとう文殊菩薩が登場、維摩居士と文殊菩薩が知恵比べをするというあらすじになっております。

文殊菩薩のご利益は智恵、学業成就、合格祈願などですが、人生で出会ういろいろな困難に立ち向かう正しい判断力や知恵も授けてくださいます。そして、自分の気持ちを上手に伝えたり、人間関係がスムーズになるよう助ける力も持っておられます。

 

真面目に勉強するのが最も大切

 このように素晴らしいご利益を持っておられる文殊菩薩ですが、受験に関して一番大事なのは、「真面目に勉強するのが本道である」という点です。神仏に祈って合格ができるのならば、私などは東大かハーバード大に入っていないとおかしいわけです。こつこつ勉強するのが一番であり、神仏の力を借りるのは一部分を助けていただくだけに過ぎません。合格祈願や「行」に時間をかけすぎるのはダメ。その分を勉強に振り分けないと受かりません。不動院には合格祈願にたくさんの方がいらっしゃいますが、祈祷と同時に勉強の仕方をきっちりと教えます。そのため、合格率はかなり高いものを誇っております。文殊菩薩の説明文を読まれる方は、かなりの確率で受験生だと思われますので、後半は具体的な勉強の方法について書かせていただきます。合格にはこれが一番大切で、正しい学習法で一定量をこなさない限り、いくら祈っても絶対に合格しません。

その1 一日のスケジュールを十分考慮して立てる。

 数学の学習は必ず午前中にします。脳のエネルギーを一番使う教科は数学なので、午後では頭が働かなくて成果が出ません。

 英単語や古典文法などの暗記物は、必ず寝る1時間前くらいまでにやります。短期記憶は睡眠中に長期記憶に変わります。

 

その2 勉強を始める前の「儀式」を決めよう。

 勉強を始める際の「儀式」を決めておきましょう。どんな人間でも、いきなり本調子が出たりしません。勉強を喜んでやっている人間は世の中に一人もいないのです。みな、嫌々やっているのが現状ですので、何か一つ、始める前の「儀式」を決めておく方がよろしい。受験生の場合は、英単語を10個覚えて勉強の始めとする人が多いです。漢字の学習でもかまいません。

 

その3 部屋の整理をしよう。

 人間は220度の範囲が視覚に入ります。部屋の椅子に座って後ろまで手をそらすと、だいたいそれが220度の範囲です。この範囲内に携帯やスマートフォンがあると、誰でも勉強よりそちらをいじくりたくなります。テレビや雑誌があっても同様。必ず220度の範囲外に移動させましょう。

 

その4 椅子は机の右側に置いてみよう。

 人間工学の理論により、机は右側に引き出しがあり、椅子は机のやや左側に位置されるようになっています。かなりの人が体を右側にねじって勉強することになりますが、いつも体が同一方向にねじれてしまうと、肩こりや疲労の原因になりやすいのです。

 

その5 勉強はできるだけ50分やり、10分休憩のリズムで。

 勉強に集中してみると分かりますが、30分を過ぎるとだんだん「ノッて」きて調子が出るものです。30分以下の学習時間の人の成績を見ると、単純な暗記内容しか解答できず、応用問題がさっぱり解けないという特徴があります。これは、30分以上かけてじっくり考えるという習慣がないためで、最初はこのような長時間学習が厳しいかもしれませんが、徐々にのばしてぜひ50分集中できるようにがんばりましょう。

 

その6 必ずテストをするべし

本を読んでいるだけ、ノートに書いているだけでは全く頭に入っていません。1~2ページごとに必ず「テスト」をして確認してください。暗記マーカーで線を引き、暗記シートを乗せる方法がお勧め。これまでいかに頭に入れていなかったかが分かるはずです。

 

ご真言 オン アラハシャノウ    訳 オーム ア ラ パ チャ ナ

                                    

合掌

522-0342  滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地

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高野山真言宗清涼山不動院

文殊菩薩

観音菩薩の詳しい話 

      

変幻自在な菩薩さま

 当寺は観音様をたくさんお祭りしております。本堂への参道前に石の観音様が一体おられ、本堂に入る直前、正面の賽銭箱のところにも観音様、そして本堂に入って右手の部屋にも、白い衣を着た観音様がいらっしゃいます。日本は観音信仰が非常に盛んなところで、いろいろな場所で様々な形の観音様がお祭りされています。「観音」の意味は「音を観察する」というもので、この仏様は私たちが「助けてください」という声をあげるかどうかを常に観察しておられて、救いの声を上げるやいなや助けてくださるという、親切極まりない仏様なのです。優しいお姿なので女性だと思われていることが多く、子供をいつくしむ姿を描いた「慈母観音(じぼかんのん)」という有名な日本画もあるくらいですが、お経の中では「善男子よ」と呼びかけられていることが多く、実はれっきとした男性なのです。

正式なお名前は「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」といいます。「自在」とは自由自在という意味で、「ものごとを自由自在に観察し、自由自在に人々を救う」お仕事をされておられます。自由自在に観察をされる例として有名なのは、あの般若心経です。般若心経の冒頭は「観自在菩薩」で始まっており、観音様が世の中を深く観察され、絶対的なものなどないのだということに気づかれ、それをわれわれ人間にも分かるように説いてくださったお経が般若心経なのです。当寺では現代語訳つきのお経をお配りしておりますので、こちらをぜひご覧ください。

もうひとつ、自由自在に人々を救われるという点も非常に有名です。こちらの内容は「妙法蓮華経」の第二十五品、「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)というお経に詳しく書いてあります。法華経を読むというと日蓮宗のお寺というイメージが一般にはありますが、第二十五品のお経は真言宗や禅宗でも大変熱心に読まれます。その中には、次のようなことが書いてあります。

観音菩薩は、仏の身によって救うのがよい者には、仏の身となって教えを説き

帝釈天の身によって救うのがよい者には、帝釈天の身となって教えを説き、

将軍の身によって救うのがよい者には、将軍の身となって教えを説き、

長者の身によって救うのがよい者には、長者の身となって教えを説き、

妻の身によって救うのがよい者には、妻の身となって教えを説き、

子供の身によって救うのがよい者には、子供の身となって教えを説き‥

もう大変な変身ぶりです。十一にも顔を変えて救ってくださるということから十一面観音が信仰されていますし、三十三の顔を持っておられるとも言いますので、三十三の顔をお持ちの観音様もいらっしゃいます。この三十三にちなんで名前がつけられたのが千本矢通しで有名な京都の三十三間堂であり、西国三十三箇所の札所の起こりもこれによります。時代が下ると「動物を救うには動物のお顔にも変身されるに違いない」と考えられ、馬の顔をされた「馬頭(ばとう)観音」という観音様まで生まれたほどです。お不動様は智恵、大日如来が完全無欠、地蔵菩薩が慈悲の仏様とすれば、観音菩薩は変幻自在のスーパーマンならぬ、「スーパー菩薩様」ということになりましょうか。

 

お経に説かれる、大変なご利益

先ほど紹介しました法華経の第二十五品には、観音様を信仰するとどのようなご利益があるのかということが熱心に説かれています。「お名前を唱えればすぐに苦しみから救われる」とか「邪悪な霊から邪魔されることがなくなる」などは、「おお、それはありがたいご利益だなあ」と思うレベルですが、

 大火の中に陥っても火に焼かれない

 殺されそうになっても、振り上げた刀や杖がばらばらにへし折れてしまって助かる

つながれた鎖がことごとく断ち切られ、壊れてしまって助かる

山頂から突き落とされても、体は空中に留まって助かる

などという内容になると、さすがにこれはすごすぎるなあとお経を読むたび、正直に思うのも事実ですが、日蓮宗の護符に

「呪詛諸毒薬(しゅそしょどくやく) 所欲害身者(しょよくがいしんじゃ)

 念彼観音力(ねんびかんのんりき) 還着於本人(げんじゃくおほんにん)」

(呪いや毒薬で殺されそうとした者が、かの観音の力を念じたならば、呪いはかえって呪う者にとりつくであろう)

という、このお経の部分がそのまま書いてあったのは驚きました。熱心に信仰されるならば、間違いなくご利益はあると思います。いかにスーパーな仏様でいらっしゃるか、お分かりでしょうか。

御真言は 「オン アロリキャ ソワカ」です。

訳 ハ オーン アーローリック(観音様の本名)よ スバーハー

                                    

合掌

522-0342  滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地

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高野山真言宗清涼山不動院

観音菩薩

弘法大師

 

真言宗の開祖でいらっしゃいます。密教、書道、学問芸術全般、土木技術や医学まで、ありとあらゆることに精通された天才中の天才です。お大師様のお姿には二十一種類ありますが、特に有名なのがご幼少時の稚児大師(ちごだいし)、ご修行の時の修行大師、ご定入(にゅうじょう)の際の御入定大師ですが、三つとも不動院にはお祀りされています。

 仏様の下に開いた穴から、極小の修行大師のお姿が拝めます。このお大師様の刻印は料理店「吟華(ぎんか)」の窓ガラスに現れ、大変な評判になっています。

ご真言 南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)

 

弘法大師

阿弥陀如来の詳しい話   

    

 阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つです。「極楽」と言えば阿弥陀如来がおられる浄土のことですが、キリスト教の「天国」に対して我が国では「極楽」と言われるくらいポ ピュラーな言葉となっております。

 平安時代後期になりますと、戦争や飢饉(ききん)があいつぎ、社会情勢が大変な時代となりました。それにより信仰される仏様は、薬師如来から阿弥陀如来に移ることとなったのです。現世で多くの善行、功徳を積まれた善男、善女は阿弥 陀如来が多くの菩薩を連れて臨終者の枕元まで迎えにきてくださると言われています。浄土系のお寺では阿弥陀様一体でお祀りされていることがほとんどですが、真言宗ではいろいろな仏様を一緒にお祀りし、仏様の扱いに全く差をつけないのが特徴です。

 阿弥陀如来は仏になるにあたって四十八の誓いをたてておられますが、浄土系の寺院ではそのうち、第十八願を最も重要視します。ここから十八番(おはこ=最も得意なこと)という言葉が出来ました。第十八願の内容は、

 

私が仏となる以上、(誰であれ)あらゆる世界に住むすべての人々がまことの心をもって、深く私の誓いを信じ、私の国土に往生しようと願って、少なくとも十遍、私の名を称えたにもかかわらず、(万が一にも)往生しないということがあるならば、(その間、)私は仏になるわけにいかない。ただし五逆罪(ごぎゃくざい)を犯す者と、仏法を謗(そし)る者は除くこととする。わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国(=極楽浄土)に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません 。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗(そし)るものだけは除かれます。

 

というものです。なお、五逆罪とは、母を殺すこと、父を殺すこと、僧侶を殺すこと、仏の身より血を出させること、僧団の和合を破壊することをさします。

阿弥陀如来ご真言  オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン

訳  オーン。甘露の威光あるものよ。スヴァーハー

阿弥陀如来

大国主命の詳しい話

 

大国主命(おおくにぬしのみこと)は出雲大社に祀られている神様で、「因幡(いなば)の白ウザギ」の詰か有名です。大国主命が囚幡(いなば)を通りかかると、体が赤く腫れたウサギが泣いていました。そのウサギは、隠岐(おき)の島からこの地に渡ろうと思いましたが、渡る手段がありませんでした。そこで、ワニザメをあざむいて、橋のように並ばせ、その上を歩いて渡りました。渡り終わる時になって、「お前たちはだまされたんだ」とウサギがつい言ってしまったので大変、最後のワニザメは、たちまちウサギをとらえて、すっかり毛をはいでしまいました。泣いているウサギに、その場を通りかかった大国主命の兄たちは

「海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい」

と教えたのです。完全に逆効果で大変なことになり、もっと泣くことになったウサギの前に、今度は大国主命(おおくにぬしのみこと)が通りかかりました。

「今すぐ水門へ行き、真水(まみず)で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚(はだ)はもとのように戻り、必ず癒(い)えるだろう」

と教えたのです。これはちゃんとした治療で、ウサギの体は回復しました。これ,が、「因幡(いなば)の白ウサギ」の話です。助けられたウサギは、

「あなたは出雲の国を治める方となるでしょう」

と予言し、その後実際にその通りになり、出雲の国造りの神として信仰されるようになりました。また、大国主命は農業神、商業神、医療神などとして信仰され、縁結びの神様としても知られています。

大国主命

蔵王権現の詳しい話

 

蔵王権現(ざおうごんげん)は、修験道(しゅげんどう)のご本尊です。インドに起源を持たない日本独自の仏様で、奈良県吉野町の蔵王堂(ざおうどう)の本尊として知られています。役行者(えんのぎょうじゃ)が吉野の山中で修行中に、その姿を現されたという言い伝えがあります。密教の明王像と非常によく似たお姿で、激しい念怒(ふんぬ)の形相(ぎようそう)、右手と右脚を高く上げ、左手は腰に当てておられる姿が一般的です。右手には三鈷(さんこ)を持ち、天魔(てんま)を粉砕するという意味を表しています。左手の刀印(とういん)は、一切の煩悩(ぼんのう)を断ち切る利剣(りけん)を示しております。左足の踏みつけは地下の悪魔を押さえつけており、右足の蹴り上げは天地の間の悪魔を払っている姿、背後の炎は大智恵(だいちえ)をあらわしていると言われております。

蔵王権現

日本唯一の神仏習合

当院は全国でも珍しく、神仏習合(しんぶつしゅうごう=神様と仏様を一緒にお祀りすること)の形を現在にも伝えています。本来の信仰としては神と仏を一緒に祀るのは、日本の場合ごく普通のことでした。室町時代に神道が非常に衰え、伊勢神宮も経営がやっていけなくなったことがあったのですが、その頃伊勢神宮をお守りしていたのは真言宗の僧侶だったのです。

それが明治の神仏分離政策により、神様と仏様は切り離され、神社と寺院が明確に区別されるようになりました。明治初期は、今度は逆に神道の力が非常に強かったので、大本山の高野山金剛峯寺も、もう少しで「弘法大師神社」にされるところだったと言われています。

当寺院にも明治の神仏分離命令が出されましたが、住職が「古来からの神仏習合を捨てるつもりなない」と頑強に抵抗し、結果的に非常に珍しい神仏習合の寺院として残ることになりました。タウン誌で「恐らく日本で唯一なのではないか」という紹介がなされたほど、神様と仏様が並べて同一のものとして祀られています。

本殿の奥、右手に大きな銀色のご神鏡(しんきょう)があります。龍神さまはここにいらっしゃいます。左手の小型の、金色のご神鏡の台座も龍の形をしたものになっており、大変立派な特注品です。金色のご神鏡のほうは、開眼供養をした翌朝未明、住職夫人の夢枕に鳳凰様(ほうおうさま=不死鳥、フェニックス)がお現れになって、「自分はここにいる」とのお告げがあり、金のご神鏡には竜神様のほか、鳳凰様もおられると分かりました。

銀のご神鏡は陰・水・月を表していて竜神様が宿り、

金のご神鏡は陽・火・太陽を表して鳳凰様も宿ります。

 

龍神様とは

龍は、中国神話の生物であり、古来から神秘的な存在として位置づけられてきました。お不動様とは非常に縁が深く、不動明王の智恵の剣は別名「倶利伽羅龍王剣(くりからりゅうおうけん)」とも言い、剣が龍神の化身そのものと言われています。不動明王が右手に持った剣に、龍神が巻き付いていることがよくあります。

龍は、中国では皇帝のシンボルとして扱われました。その啼き声によって雷や嵐を呼び、また竜巻となって天空に昇り自在に空を飛ぶすると言われ、また口もとに長いひげをたくわえ、喉の下には一尺四方(30センチ四方くらい)の逆鱗(げきりん)があると言われます。逆鱗というのは、逆さに生えた鱗(うろこ)で、この鱗に触られると龍は大変怒り、触った者を必ず殺してしまうと言われています。この伝説から

「逆鱗(げきりん)に触れる=相手をとことん怒らせて大変なことになる」

ということわざが生まれました。我々人間で言うとちょうど指の先に出来る「逆(さか)むけ」でしょうか。あれをはがすつもりで、引っぱりそこない、変に皮が裂けた時の痛さは半端ないです。「逆鱗」はちょうど龍の「逆むけ」に相当するのではないかと思っております。

また、龍は顎(あご)の下に宝珠(ほうじゅ=宝の玉)を持っているとも言われています。竹取物語でかぐや姫が、求婚してきた男たちを断る口実に使ったのが、この「龍のあごの下の玉」でした。この玉を取ってきてくれたら結婚してもいいと言われて、結婚を申し込んだ男は大きな舟をつくって実際に中国を目指して旅立ち、嵐にあって気の毒にも行方不明になってしまっています。美人だから許されているというものの、かぐや姫も相当ひどい人なんであります。

十二支にそれぞれ動物が当てはめられたとき、唯一採用された伝説上の生物でもあります。龍の起源は中国ですが、インドのナーガという蛇と水の神様も、仏典では「龍」とか「龍王」と訳され、のちに一緒になっています。西洋ではドラゴンと呼ばれ、やはり聖獣とされています。

 

鳳凰様とは

鳳凰(ほうおう)は、中国神話の霊鳥が起源です。日本や朝鮮など東アジア全域にわたって、装飾やシンボル、物語や説話などでひんぱんに登場します。鳳凰は、霊泉(れいせん=甘い泉の水)だけを飲み、60年から120年に一度だけ実を結ぶという竹の実のみを食物とすると言われており、鳳凰が出現するときは国家レベルの慶事(けいじ=おめでたいこと)があるとされてきました。羽のある生物の王であるとも言われており、また西洋のフェニックス(不死鳥)と同じものとみなされています。インドネシアにはガルーダと呼ばれる神の鳥がおり、深く信仰を集めていますが、その姿を見るとほとんど鳳凰と同じで、ルーツはほとんど同じと考えてよいでしょう。

当寺院では、不動明王、龍神、鳳凰が一致協力して働いてくださっています。

 

御真言 ノウマク サンマンダ ボダナン メイギャシャニエイ ソワカ 

訳  一切の諸仏に帰依(きえ)し奉(たてまつ)る  

   雷(いかずちの威力をもって 天をかけるものよ スヴァーハー

             合掌

522-0342  滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地

電話  0749-48-0335  FAX  0749-48-2679 

高野山真言宗清涼山不動院

竜神・鳳凰

弁財天の詳しい話 

      

 弁財天(べんざいてん)は、もともとヒンドゥー教のサラスヴァティー(Sarasvaty)という川の女神で、水神・農業神として崇拝されていました。最初はインドの時代の姿と同様、8本の腕に宝珠や剣・弓矢などを持った姿でしたが、鎌倉時代になると2本の腕となり、膝を立てて琵琶を弾く姿が一般的となり、芸能の神様ともいわれるようになりました。当時は「弁才天」と書かれることが多かったのですが、次第に現世利益の「財」を強調した「弁財天」とも呼ばれるようになり、七福神に紅一点として入るようになったのです。

 現在、弁才天は、学問・弁舌・音楽・除災・財宝・至福を与える神で、農業神・海上神・福徳神などとして人々の願いを聞きとどけてくれる女神と信じられています。

 

御真言

オン ソラソバテイエイ ソワカ

訳 サラスヴァティーよ スヴァーハー

弁財天

弥勒菩薩の詳しい話

 

 弥勒菩薩(みろくぼさつ)は、お釈迦さまがなくなったのち、将来仏となってこの世にあらわれて法を説き、すべての人を救ってくださる救う約束がなされている仏さまです。現在は兜率天(とそつてん)という世界で修行中であるとされています。弥勒菩薩というと、右手を頬にあてる独特のポーズが有名ですが、これは「どうやってすべての人を救ってやろうか」ということを一心に考えておられる姿(「思惟(しゆい)像という)です。

 

石でお墓を作る由来

 しかし、その弥勒菩薩が救世仏(きゅうせいぶつ)として兜率天からこの世に出現するのは、釈迦の入滅後の56億7000万年後であるとされています。残念ながら現在の我々では弥勒菩薩にお目にかかることはできません。そのため、せめて自分の墓を見つけてもらって助けてもらおうと考える人が現れてきまして、長持ちするだろうという理由で、石のお墓を作るようになったのです。弘法大師がおられた平安時代は、埋葬というと普通に土に埋めるだけで、石でお墓を作る習慣はありませんでした。石のお墓が作られるようになったのは、弥勒菩薩信仰が盛んになった鎌倉時代以降のことです。

 

弘法大師が信仰しておられた仏様

 弥勒菩薩は、インド名でマイトレーヤーといい、「慈(じ=慈悲のこと)はから生まれたもの」と訳されて、中国では慈氏菩薩(じしぼさつ)とも呼ばれています。私たちは弘法大師を熱心に信仰していますが、では弘法大師ご自身はどの仏さまを信仰しておられたのかというと、この弥勒菩薩さまです。弘法大師が高野山の奥之院(おくのいん)にご入定されるとき、

「われ、閉目(へいもく)ののちは兜率天(とそつてん)に往生(おうじょう)し、弥勒慈尊(みろくじそん)の御前(ごぜん)に仕(つか)え、五十億余年ののち、必す慈尊(じそん)とともに下生(げしょう)はせん」

訳 「私は目を閉じたのちは兜率天(とそつてん)に生まれ変わり、弥勒菩薩の御前(ごぜん)に仕え、五十億年後ののち、必ず弥勒菩薩とともにこの世に再び降り立つであろう」

と弟子達に遺言されたと伝えられています。これが弘法大師のご誓願(せいがん=誓い)でして、現在我々は弘法大師信仰に生き、同行二人、必ず御大師様が一緒にいてくださるという信仰の生活を送っておりますが、弥勒菩薩が出現されるまでは、弘法大師が私たちを代わりに救ってくださるということなのです。

御真言

オン マイタレイヤ ソワカ

訳 マイトレーヤーよ スヴァーハー

 

                                    合掌

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弥勒菩薩

鬼子母神の詳しい話

 

  密教では訶利帝母(かりていも)と呼ばれることの方が多い仏さまです。毘沙門天の部下にあたる武将の妻で、500人(一説には1000人)の子供を持っていましたが、それらの子を育てるだけの栄養をつけるために、人間の子を捕えて食べてしまっておりました。そのため多くの人間から恐れ憎まれていたのです。

 それを見かねたお釈迦さまは、彼女が最も愛していた子供の一人を隠してしまいました。彼女は半狂乱となって世界中を7日間探し回ったが発見できず、助けを求めてお釈迦にすがりました。お釈迦さまが

「多くの子供を持っているお前が、一人の子を隠されただけでそれだけ悲しんでいる。それなのに、たった一人の子供を失う人間の親の悲しみはいかほどのものか。」

とさとされますと、鬼子母神は大いにこれまでの行いを反省し、仏法の守護神となることを誓いました。このようないきさつで子供と安産の守り神となり、盗難よけのご利益もあるといわれています。 密教では安産の祈祷の本尊としてまつられるほか、日蓮宗では祈祷の際の本尊となっています。

 

御真言

オン・ドドマリ・ギャキティ・ソワカ

訳 オーム 訶利帝母(かりていも)よ スヴァーハー

鬼子母神

四天王の詳しい話  

     

武人の格好をした四人衆

 本堂右手奥に4人の仏様がいらっしゃいます。

持国天(じこくてん)     ・東方を守護する仏様

増長天(ぞうちょうてん)   ・南方を守護する仏様

広目天(こうもくてん)    ・西方を守護する仏様

多聞天(たもんてん)     ・北方を守護する仏様。毘沙門天とも言う。古代インド語のサンスクリット語を、意味をもとにして訳すと「多門天」、発音をもとにして訳すと「毘沙門天」となり、実は同じ仏様です。

 

の四体です。普通の仏様と違い、四人とも武装した軍人の格好をされておられます。これは、仏教を守るための武器であり、仏の教えを邪魔する者は許さないぞという決意の表れです。足下に餓鬼(がき)を踏みつけておられるのも、仏教に害をなす者は許さないという意味であります。四人ともお名前に「天」がついていますが、「天」がついている仏様は、もともとは仏教の仏様ではなく、他の宗教の神様だったことを表します。この四人の方々は、「帝釈天(たいしゃくてん)という方の部下でした。帝釈天というと葛飾柴又(かつしかしばまた)に祀られている仏様が有名で、あの「寅さん」の舞台となっています。帝釈天は元々「インドラ」という名前の、バラモン教の雷の神様です。帝釈天のご真言は、

 

ノウマク サマンダボダナン インダラヤ ソワカ

訳 あまねく諸仏に帰命したてまつる 帝釈天よ スヴァーハー

 

ですが、真言の中に元々のお名前の「インドラ」がしっかり入っています。仏教が他の宗教の神様を排斥することは基本的になく、どの宗教の神様であっても尊び、自分の宗教に取り入れています。これが宗教本来の姿であり、聖地の所有や教義をめぐって争いや戦争が起きたりするのは、本来の道を外れていると言わざるを得ません。神であれ仏であれ、結局は同じ聖なるものを名前を変えて呼んでいるに過ぎないのです。真言宗は特に他宗教や他宗派に寛容で、どの仏様、どの神様を拝んでも結局は同じであると説きますが、これが正しい道なのではないかと常々思います。

 さて、四人おられる四天王のうち、一番有名なのが多聞天です。別名の毘沙門天の名前のほうがよく知られており、四人の中でも特に武運をつかさどる仏様として、古来から武将たちに篤く信仰されていました。上杉謙信(うえすぎけんしん)は熱烈な毘沙門天の信仰者で知られ、戦国武将として自分が戦うのも、毘沙門天が治めるような国を作るためだと常々言い、自分の旗にも「毘」の字を染め抜いていたほどです。イラクに派遣された自衛隊の車体の側面に「毘」の文字がマーキングされたのも同じ理由です。勝負ごとの仏様として篤く信仰を集めておられますが、ギャンブルにご利益があるかどうかは分かりません。(笑)

 聖徳太子も四天王を篤く信仰しておられました。仏教が伝来したとき、仏教を尊ぼうとする蘇我(そが)氏と、神道を尊んで仏教を排斥しようとする物部(もののべ)氏の間で争いが起き、聖徳太子は四天王に願をかけ、物部氏に勝てたのを感謝して大阪にお寺をお建てになったのが、あの四天王寺であります。

 

多門天(毘沙門天)

オン ベイシラマンダヤ ソワカ(この真言が一番有名です)

訳 あまねく諸仏に帰命したてまつる オーム 毘沙門天よ スヴァーハー

 

持国天

ノウマクサンマンダ オン チレイタラ シュタラ ララ ハラバダノウ ソワカ

訳 あまねく諸仏に帰命したてまつる オーム、持国天の美しき楽欲よ スヴァーハー

 

増長天

ノウマクサンマンダ オン ビロダギャ ヤキシャ チハタエイ ソワカ

あまねく諸仏に帰命したてまつる オーム、増長天の夜叉王のために スヴァーハー

 

広目天

ノウマクサンマンダ オン ビロハタシャ ナガヂハチエイ ソワカ

あまねく諸仏に帰命したてまつる オーム 広目竜王のために スヴァーハー

 

                                    合掌

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四天王

鍾馗(しょうき)様の詳しい話

鍾馗(しょうき)様は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神様です。日本では、病気よけや学業成就にご利益があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりします。もともと端午の節句は、鍾馗様をまつってちまきを食べ、しょうぶ湯に入って無病息災を祈るお祭りでした。鍾馗様が武人の姿をしているので、それにちなんで子供たちが紙でかぶとを折ってかぶったり、武者人形を飾ったりするのです。戦後になると鯉のぼりをあげるお祭りだと思われるようになりましたが、もともとは鍾馗祭りでした。お茶の世界にはまだ鍾馗像を飾ったりする習慣が残っています。鍾馗様の絵には魔よけのご利益ががあるとされ、旗や屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする地域もあります。                                                                                                                                                    鍾馗様の図像は必ず長い髭(ひげ)を蓄え、中国の武人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿です。

ビックリの事実ですが、鍾馗様もともとは中国の唐の時代に実在した人物なのです。
ある時、唐の六代皇帝玄宗がマラリアにかかり床に伏せてしまいました。玄宗皇帝は高熱のなかで夢を見たのです。宮廷内で小さな鬼がいたずらをしてまわるが、どこからともなく大きな鬼が現れて、小さな鬼を捕らえて食べてしまいます。玄宗皇帝が大鬼に正体を尋ねると、
「自分は終南県出身の鍾馗である。武徳年間(618年-626年)に役人になるため科挙の試験を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。だが唐の初代皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げたのです。夢から覚めた玄宗は、自分の病気が治っていることに気付きました。大変感動した玄宗皇帝は著名な画家に命じ、鍾馗様の絵姿を描かせました。


この伝説はやがて一般に広まり、十七世紀の明代末期から清代初期になると、端午の節句に厄除けとして鍾馗図を家々に飾る風習が生まれたのです。
日本では、江戸時代末(十九世紀)ごろから関東で鍾馗を五月人形にしたり、近畿で魔除けとして鍾馗像を屋根に置く風習が見られるようになりました。
京都市内の民家(京町家)など近畿や中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10~20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができます。これは、昔、京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ、向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが、向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ、住人の病が完治したのがそのいわれとされています。
平成二十五年(2013年)十二月には、京都市東山区にある若宮八幡宮社の境内に、日本初となる鍾馗を祭った鍾馗神社が創建されました。

 

余談ですが、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機、「キ44二式戦闘機(にしきせんとうき)」の愛称は鍾馗(しょうき)です。

 

                                    合掌

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高野山真言宗清涼山不動院

しょうき
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