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ともしび                 
第六十一号 


二つの勝利を得るということ

  お釈迦さまが仏教を開かれるまで、インドはバラモン教の国でした。その当時では仏教が「新宗教」だったわけです。お釈迦さまが法をお説きになるたびに教えに帰依する者がどんどん出ましたので、当然古くからあるバラモン教の僧侶たちは面白くなく、さまざまないやがらせや迫害をしたと伝えられています。
  お釈迦さまがある家で人休みしておられた時のことです。一人のバラモン僧が血相をかえてどなりこんできました。実は彼の身内の者がお釈迦さまの説法を聞いて出家したということがあり、それを聞いたバラモン僧が怒り狂っというわけなのでした。彼がさんざん罵声をあびせかけるのをじっと聞いていたお釈迦さまは、少し静かになったところで、彼に向かって聞きました。
「バラモンよ、あなたの家にも、お客さんが来ることがあるだろう」
「もちろんだ」
「その時には、ごちそうをすることもあるだろう」
「もちろん、ある」
「もし、その時お客さんがそのごちそうを頂戴しなかったら、そのごちそうは誰のものになるだろうか」
「食べてもらえなければ、それは、また私のものになるしかあるまい」
そこでお釈迦さまは、じっと彼の顔を見つめて言いました。
「バラモンよ、今日、あなたは、私の前にいろいろと悪しき言葉をならべたが、私はそれを頂戴しない。だから、それもまたあなたのもになるしかあるまい。バラモンよ、もし私がののしられて、自分もののしりかえしたなら、それは主人と客が食事をともにすることになる。だが、私はそのごちそうは頂戴しないよ」
ぐうの音も出なくなってしまったバラモンに、お釈迦さまはつづけて、
「怒れる者に怒りかえすことは、よくないことだということを知らなければならない。怒れる者に怒りかえさぬ者は、二つの勝利を得るのだ。他人の怒りを受けても怒らぬ者は、「おのれに勝つ」という勝利と、「他人に対しても勝つ」という勝利を得るのだよ」
こう教えられたバラモンは大いに反省し、お釈迦さまに弟子入りしたと言います。
  人間関係のトラブルはほとんどが、「売り言葉に買い言葉」のパタ-ンから生まれるといっていいでしょう。仏教では屈辱を耐え忍ぶことを「忍屈(にんにく)」と呼び、精神修行の重要な項目にしております。この「二つの勝利を得る」という表現は、お釈迦さまが実際に語られた言葉を比較的よく伝えていると言われる「阿含経(あごんきょう)」などのお経にしばしば出てまいります。お釈迦さまはこの言い方を好まれて、よくお使いになったもののようです。そう言えば昔、似たことを教えられたことがあります。それは、
「腹が立ったら、黙るのが一番だ。言いがかりをつけられたような場合も、カッとして言い返してはいけない。たとえ相手に非があっても、言い争いになったら最後、両方があやまらないといけないことになってしまう。結局は負けだ。だから、腹が立ったら黙るに限る」
こう語ってくれたのは職場一番というやり手の人でしたので、世渡り上手のずるさみたいなのがちょっとにおうのが気になりますが、大筋においては同じ内容と言えましょう。ともかく、
「とりあえず黙ってみる」
というのは試してみる価値のある方法ではないでしょうか。「とりあえず黙って」様子を見るようにしていると、大体の場合、自分としては「一方的に非難されている」つもりでも、実際には自分の方にも非がある場合がほとんどなのではないかと思います。もちろん、まれには本当に当方には非がなく、単なる言いがかりの場合もあります。ところがその場合も、そういう無理を言う人は必ずといっていいほど、他の人にも受け入れられずに最後には孤立してしまうものです。
  つまり、どっちの場合にも、自分一人で「正義を代表する」かのように、ムキになって反論したり、ケンカを買ったりする必要などは全然ない、ということになるのではないでしょうか。本当にむずかしいことではありますが、怒りを受けて怒りかえさぬ心を育てられるように、信仰の道に邁進したいものですね

ともしび

第六十二号 


楽しみということ

  財閥の後継者にとっては、年収が億を下回ったら大変な挫折感を感じることでしょう。それどころか、「この経営者では財閥が存続しない」と考えた重役が反乱を起こし、派閥抗争が起こるのもよくあることです。お金や地位を持ったら持ったで心配の種がつきないものですね。
  二千年ちょっと前、ギリシアにディオゲネスという人がおりました。相当変わった人で、著名な学者であり、哲学者でしたが、とにかく変なことをする人ということで有名でした。地位も名誉も金銭にも興味をしめさず、酒屋にころがっている大きな空き樽(たる)の中に住んでいたので、「樽の中の大哲学者」というあだ名があったそうです。この人については実際、いろいろなゆかいな話が残っていまして、たとえば、彼は真昼にランプをつけて町を歩いたりします。町の人が何をしているのかと聞くと、
「人間をさがしている」
「人間なら、そこらにいくらでもいるではないか」と問い返すと、彼は
「欲が皮を着て歩いているのはたくさんいるが、本当の人間はおらんよ」
と言ったりとか。何だか一休さんのパタ-ンにも似ております。何歳で死んだかもはっきりしないのですが、その死因というのも傑作でして、
「食事を取るのをやめて、餓死したのだ」とか、中には、
「自分で呼吸するのをやめて窒息死した」
なんて伝説もあるくらいの人です。そのディオゲネスのところに、世界を征服して大帝国を築いたあのアレキサンダ-大王が訪ねてきたことがあります。大王はマケドニアという出身国から領土を広げ、ギリシアも征服しました。そこで「樽の中の大哲学者」の噂をききつけ、面白がってわざわざ会いに行ったそうです。その時ディオゲネスはちょうどひなたぼっこをしていました。
「私は、世界を征服したアレキサンダ-大王だ。ギリシア、ロ-マ、エジプト、アラビアはすでに我が支配下にある。今度の遠征ではインドと中国を征服し、世界全部を手に入れることにしている。何か欲しいものはないのか。お前が望むなら、国の一つや二つはやってもいいぞ」
寝たままでディオゲネスは答えました。
「そうですかお若い方、ご苦労なことですな。それならあんたに一つだけお願いしたい。そこをどいてくださらんか。あんたがそこに立っていると影ができて、ひなたぼっこが出来ませんのじゃ」
アレキサンダ-大王は二の句がつげなかったそうです。帰り道で大王は、
「俺は世界を征服したというのに、あの男のほうがよほど楽しい毎日を送っているではないか。もし自分がアレキサンダ-でなかったら、俺はディオゲネス・ラエルティオスになりたい」
としみじみ言ったそうです。大王は直後のインド遠征中にマラリアにかかって急死してしまいましたが、その時わずかに三二歳だったそうです。これだけ若くして権力の頂点を極めた彼でも、心休まらぬ日々があったのでしょう。失うものを何も持たないディオゲネスの気楽さが、しみじみとうらやましかったのではないでしょうか。人生をとことん楽しんだのはディオゲネスの方ですね。「金持ちの  心配やはり  金のこと」
という川柳がありますが、お金があるならあるで苦労があり、権力の座につけばついたで、いつ裏切りや造反があるかとびくびくしなければならないのが俗世のつらさです。人間として生まれたからには、時勢や財力に翻弄(ほんろう)されないような充実した人生を送りたいものですね。信仰を持つ私どもであれば、神仏にすがり、その恩恵に生きる人生を送るべきでありましょう。
  なお、アレキサンダ-大王の遠征はインドにも大きな影響を与えました。大王はインド全部の制圧こそ出来ませんでしたが、現在のパキスタンあたりまでには領土をのばし、彼の死後はギリシアの植民地ができました。そこにはギリシアから大変な数の技術者が呼びよせられましたが、その中にはあの「ミロのビ-ナス」に代表されるようなギリシア彫刻の職人達もおり、その技術を生かして作られたのが「仏像」なのです。それまでのインドには実は「神々の像を作って拝む」という習慣が全くありませんでした。今日私たちがお不動さまや阿弥陀さまの像を何の気なしに拝んでいますが、その成立には西洋と東洋の文明のぶつかりあいがあってこそだったのです。ギリシア植民地の王の中には仏教に改宗した者もたくさんおりましたし、インドからギリシア、エジプト、ロ-マ、イランなどに仏教の伝導僧が派遣された記録も残っているそうです。

                

ともしび

第六十三号 


愚か者の親子の話


  有名なイソップの昔話です。
あるところに愚か者の父親と息子がおり、ロバを一頭連れて旅をしていました。父親は、
「ロバをただ歩かせるよりは、子供を乗せてやろう。そうすれば、子供も楽になるだろう。」
と考えつき、息子をロバの背に乗せて旅を続けましたが、道ですれ違った二人の旅人が、
「子供がロバに乗って、親を歩かせるなんて、親不孝なことだ。」
としゃべっているのが耳に入りました。それを聞いて父も子もなるほどと思い、今度は父がロバに乗って、子供が歩くことにしました。すると、また次のすれ違った二人組が、
「親がロバに乗り、子供を歩かせている。あれでは子供がかわいそうだ。二人ともロバに乗ればいいのに。」
とひそひそ話をしています。今度も父親と子供は「もっともだ」と思って、二人でロバに乗って進みました。
  するとまた、すれ違う人たちが
「親子二人でロバに乗るなんて、あれではロバが大変だ。そんなことならロバを二人でかついでやればいいのに。」
と言うではありませんか。二人は「それもそうだ」と思い、今度はロバをかついでいくことにしました。でも、なにしろ生き物で暴れもしますから、ロバの足を縄で縛り、棒を通してかついでいくことにしました。しばらくすると小川にさしかかりましたが、そこで足をすべらせたから大変、ロバは川の中に落ち、足を縛られていたためにおぼれ死んでしまいました。
  確固たる信念で生きている人というのはそんなにおりません。多くの場合、他人がどういう評価をするか、近所や同僚からどう思われるかについて心を砕き、それにふりまわされてしまいがちです。ただ、世間の人はうわさこそすれ、責任をとってくれるわけではありません。日本人はどちらかというと群集心理に弱い国民です。「みんながやっていることだ」と聞かされると、どうも流れに逆らえなくなる傾向があるのではないでしょうか。よく子供が親にオモチャをねだるのに、
「これは、みんな持っているから、僕もほしい!」
というのも同じです。この「みんな持っている」というのは親のすねをかじるには一種の殺し文句でありまして、
「そうか、それならお前だけがないのもかわいそうだな」
とか言って高いのを買ってしまい、あとで聞いたら、
「『みんな持ってる』の本当の意味は、友達のうちの2、3人が持ってるということだった。」
なんて真相が明らかになったりして…。
  大人でもこの心理を利用されて、とんでもない目にあうことも多くあります。何とかいうセミナ-に参加したところ、講師が口が非常にうまく、そのうちに毛布などのたたき売りを始めたりする、というのもこの一つです。そんな場合は、会場に来ている人たちが一種の興奮状態のようになり、普段なら買わないような何十万もする羽毛布団など売りつけられたりします。
「赤信号  みんなでわたれば  こわくない」
という言葉がありましたけど、確かにこれは人間心理をついております。
  この調子ですから我々は、戦前には国をあげて軍国主義に走ってしまったのではないかと思います。あの時代は、
「日本は世界一すぐれた国だから、劣った民族を導いてやるために戦争をしているのだ。」
と信じ込んでおりましたので、占領した中国や朝鮮半島で相当な残虐行為をしました。これも、「みんながやっているからこわくなくなった」というのが本当のところでしょう。
  世間の人がどう言おうが、確固たる信念を持って生きていきたいものです。だからといって、自分の感情だけで突っ走るのも間違いです。それではただの偏屈か、嫌われ者にしか過ぎません。神仏の声に耳を傾け、反省を忘れず、人の道に忠実な生き方をすることが大切なのではないでしょうか。そういう生き方をしてこそ、「確固たる信念」も生まれましょう。

 

ともしび                 

第六十四号 


世間虚仮 唯仏是真
  世間虚仮  唯仏是真(せけんこけ  ゆいぶつぜしん)
聖徳太子の臨終の言葉です。
「俗世界はあてにならない。本当に頼れるのは仏法だけだ。」
という意味です。聖徳太子はご存じのように、日本のいしずえを築かれた方ですが、仏教についても大変くわしく、みずから法華経などを講義しておられますし、四天王寺(してんのうじ)をはじめさまざまな寺院を築かれました。太子は一生をかけて政治改革をされるうちに、俗世の人間のしがらみにはほとほと手を焼かれたのでありましょう。まあ、私たち俗人の考えほど変わりやすく、頼りにならないものはありません。
  中国の古典に『韓非子(かんびし)』という書物がありますが、その中にこんな話が載っています。
  昔、衛(えい)という国に、弥子瑕(びしか)という男がおりました。この男は国王の大のお気に入りで、なにかにつけてひいきにされており、弥子瑕もそれにこたえて主君につくしておりました。
  ある日、弥子瑕は国王とともに散歩をしておりました。道端の桃を一つもぎ取って食べたところ、甘くて、とろけそうにおいしいのです。あまりにうまいので、自分は半分だけ食べて、残りを国王に食べさせました。国王は、
「うまいものは全部食べたいのが人情だ。しかし彼は半分しか食わず、わしに残りをくれた。なんていいやつだろう。」
と言って、大いに喜びました。
  数日たった夜のこと、弥子瑕の母親が病気で倒れたという知らせが城に入りました。弥子瑕は矢もたてもたまらず、無断で国王の車に乗って我が家にとんで帰りました。当時の衛の国の法律では、許可なく主君の車に乗ったものは、足切りの刑に決まっていたにもかかわらずにです。
  あとでそのことを聞かされた国王は、
「自分が厳罰に処されるかもしれないのに、母親に会いたい一心で危険を冒すとは、なんと親孝行な男だ。」
と、かえって彼をほめちぎり、ほうびまでやったのです。
  数年たって、弥子瑕は仕事で失敗をやらかしました。国王には急に彼のやることなすことが気に入らないようになってきました。とうとう昔のことを思い出して腹をたてだし、
「あの男は実に不届きなやつだ。その昔、国王のわしに食べ残しの桃を食わせおった。それに、無断でわしの車に乗りおった。わしを馬鹿にするにもほどがある、断じて許さんぞ。」
何年もたってから厳罰が執行され、彼は足を切られてしまいました。財産もすべて没収、一族は国外へ追放されてしまいました。
  俗世というのはしょせんこのようなものです。出世競争に勝ちたい一心で上役に取り入り、政略結婚までする場合もありますが、大抵は末路は哀れです。自分に追い風が吹いている間は飛ぶ鳥を落とす勢いでも、いったん落ち目になると誰も鼻もひっかけてくれはしません。まあ、それもまた、みな自分がまいた種とも言えます。人を利用するつもりでつき合っているうちは、しょせん自分も「利用されるような相手」しかついてはきてくれないものだからです。そしてそういう人に限って、相手に利用価値がなくなったが最後、手のひらをかえしたように敵側に寝返ります。
  また、世間一般を見渡しても、このように価値観がころころ変わる例はざらにあります。戦前は、
「一億玉砕」「鬼畜米英」
がスロ-ガンでしたが、戦争に負けたとたん、アメリカのご機嫌をうかがわねば日本はやっていけなくなりましたし、
「欲しがりません勝つまでは」とか「ぜいたくは敵だ」
とか言っていたのが、一時は「消費は美徳」などといっていたではありませんか。これでは戦争末期に、お国のためとだけ信じて死んでいった人たちは浮かばれないでしょう。
  昨日の真理が今日のうそとなり、今日の偽りがあすの真実になるのがこの世の中です。そんなこの世のことわりにふりまわされている限り、いつか壁にあたりましょう。一刻も早く彼岸に渡って、仏の世界からこの世を見たいものですね。

 

ともしび                 
第六十五号 

下積みあっての人生
  「コメの硬さを知らない人間はだめだ」と言います。
「コメの硬さを知る」とは、「他人の飯を食う」ということです。他人の飯を食ったことがない人は、どうしても甘えが出ますし、不平不満を持ちやすいものです。「若いときの苦労は買ってでもしろ」とは言い古された言葉ですが、人間、人生のなるべく早い時期に、人生のぎりぎりの内面をつかむべきではないかと思います。そのとき、
「人間はどう生きればもっとも幸せになるのか」
ということをとことん追求する人は、いずれ本当の幸せにめぐりあうのではないでしょうか。人生はいつもバラ色ではありません。人から認められ、苦労もなく、人生のひのき舞台で脚光を浴びたいというのは誰でも同じです。しかし、その舞台は決して広いものではありません。そこに立てる人数はごくわずかなのです。大部分の者は、縁の下の力持ちにならざるを得ないのがこの世の習いです。そんなときにくさったり、やけを起こしても、自分の貴重な時間と労力をいたずらにすり減らすことにしかならないでありましょう。小さい頃から何不自由なく暮らしてきた人でも、人生の八〇年間を何のトラブルもなしに終えるというのは不可能です。苦労人にとってはどうということもないような、ちょっとした不幸に打ちのめされて、二度と立ち上がれないなどということも実に多いものです。やはりカゼに対する免疫のようなもので、心にも一定の抵抗力をつけておくことは大切であると言えます。
  徳川家康といえば、腹黒いタヌキおやじというイメ-ジがありますが、江戸幕府三〇〇年の基礎を築いた力は並みのものではありません。彼の強みは、「下積みを知っていること」につきました。何しろ人質の生活を十六年も続けたのですから、並大抵の苦労ではありません。
「人の一生は、重い荷物を背負って、長い坂道を歩くようなもの」
という言葉が残っていますが、これは実感だったでしょう。忍耐の一生で、常に自分を戒めることでは定評がありました。あるとき、織田信長からおいしい桃を贈られましたが、
「こういうおいしいものを食べてしまうと、口がおごってしまうからわしは食わない。」
と言って、信長に礼状は出したものの、かんじんの桃は家来にさげわたしてしまいました。家来たちも桃はもらったものの、さすがに食べられなかったそうです。天下の将軍が意外なことですが、食事は生涯麦めしだったそうです。
  このような苦労や気配りがあってこそ、彼は人心の機微に通じることができ、長続きする幕府が作れたのだと思います。この点が、自分の強運だけを頼りに強引に生きた信長や、才覚と世渡りのうまさだけでのし上がった豊臣秀吉にはまねができなかったところです。下積みの苦労にたえてこそ、本当の実力がつくというものでありましょう。
 また、ひのき舞台で注目されるような人間ばかりがいても、この世の中は動きはしません。みんなが医者と大学教授ばかりでは、物を生産することが全くできますまい。杉の木は苔がないと育ちません。苔には直射日光が当たらないほうがかえってよく、そのために杉の葉が苔を太陽の光から守っております。また、苔が水分を供給するからこそ、杉の木は生きていられるわけです。
 私たちの小指も同じです。日常生活ではそれほど役割があるとは思えませんが、小指がないとカナヅチは使えません。野球をやるにしてもボ-ルが飛びませんし、逆立ちをしても、小指がなければバランスを崩して倒れます。小指に限らず、失ってはじめて本当の価値に気がつくというものはたくさんあるのではないかと思います。
  何不自由ない暮らしをしながら、なおかつ神仏へあつい信仰心を持つ人というのがいたとしたら、大変立派です。実際のところは、挫折して浮世のつらさが身にしみて、み仏の声にも耳を傾ける気になるというのが一般的と言えるでしょう。こんなときにこそ、ふだんは鼻にもひっかけなかったみお教えのありがたさがわかるというものです。
  不運に悩むときは、いわば人生の勉強期間です。すべてのものをじっと背負ってみると、そこにはそれなりのぬくもりがわいてまいります。他人が悪い、世の中が悪いとほかをせめてばかりいたものが、他人をせめるほど自分は善人でもないし、正しくもないということがわかるのではないでしょうか。それがわかることが、さとりへの第一歩でありましょう。

ともしび
第六十六号 

「口舌の英雄」の話
  中国がいくつにも分裂していた時代、蘇秦(そしん)という男がおりました。政府につかえていましたが、政策で失敗をして首になり、同僚にも目上からもさんざんに侮辱され、一文なしで故郷の家に帰ってきました。ところが、そのうらぶれた姿を見て、家の者も彼をたいそう冷たくあしらいました。布を織っていた妻は、はた織りの機械からおりようともせず、兄嫁も食事のしたくすらしてくれなかったのです。あまりのひどさに蘇秦は激怒して、妻を玄関先まで呼びつけて、
「俺の口に舌がついているか、見てみろ」
と言いました。妻が
「ふん、人間なら舌があるのは当たり前でしょう」
と突き放すと、
「そうだ、俺は何もかもなくしたが、まだこの舌が残っている。この舌一枚で、天下をとってやるから、今に見ておれ」
と言うと、家を飛び出しました。たしかに弁舌は上手で説得力がある人でしたから、それからのち、彼は本当に戦国の世に踊り出たのです。そして分裂した六つの国をまとめあげることに成功し、その六つの国の宰相となってしまいました。それぞれの国から贈られた財宝を山と積み、故郷へ帰ってきました。
  彼の前に恐る恐る出た妻と兄嫁は、昔の自分たちの仕打ちの報いが恐ろしいやら、恥ずかしいやらでぶるぶるふるえています。そのうって変わった態度を見て、蘇秦はいやみの一つも言いたくなりました。
「ねえさん、昔にはずいぶんいばっていたのに、今度はまた、えらくしおらしいですね」
「それは、あなたが今や、地位も高く、お金持ちなんですもの」
と兄嫁は消え入りそうな声で答えました。蘇秦は思わずため息をついて、
「ああ、何てことだ。同じ人間でありながら、出世をして金持ちになると親戚も恐れかしこみ、貧乏でいやしい身となれば頭からばかにする。他人なら、なおのことだ」
ここで妻や兄嫁を牢獄にでも入れてしまうかというと、そこが出世をする人はやはり違いまして、
「もしも私が、郊外によい田んぼの二町あまりも持っていたらどうだろうか。それに安住してしまって、こうして今日のように、六つの国の宰相になるほど立身栄達しただろうか」
と思い直しました。たしかに、以前の失敗と家の者の冷たいあしらいが、今日の成功のいしずえではあります。してみれば、妻や兄嫁はむしろ恩人であると思って、大金を分かちあえたと言います。
  これが有名な「口舌(くぜつ)の英雄」蘇秦のエピソ-ドです。困難な時期に発奮して努力したのもさすがですが、昔の恨みに感謝をもって報いたのが、本当に大したものですね。とても我々には真似ができないようにも思えましょうが、程度の差こそあれ、人に認められる人物というのは、大体似通った考え方が出来るものです。病気の苦しみがあるからこそ医学の発達があるように、挫折するからこそ、人の痛みがわかる人物になれるとも言えましょうか。あまりの逆境で命がなくなっては元も子もありませんが、いつも書くように
「死なない程度に苦労する」
ことは大切です。失敗からこそ、我々は多くのものを学べるのではないでしょうか。トラブルのない、悠々自適な人生が生涯続くはずがありません。もし仮にそんな一生が送れたとしても、その人は普通よりうんとぼんやりした性情になってしまいそうです。江戸時代の歴代の将軍などを見てください。創業者の家康とか、八代吉宗などは小さいときに苦労しておりますので相当な人物でしたが、五代将軍綱吉とか11代家斉などは、何の苦労もなく育ったものですから、本当にどうしようもない殿様でした。
  ただ、くれぐれも「感謝をする心」だけは忘れたくないものです。そうでないと、苦労したためかえって人を信じない、ひがんだ人間となってしまうことすらありましょう。たとえば道でころんだとしても、
「ああ痛い痛い、俺ほどついてない男はいない!」
とぼやいてばかりいるのと、
「たしかにころんだが、けがをしなかった。ああ、ありがたい」
と感謝するのとは、天と地ほども違うのです。

​ともしび

第六十七号 


知っておきたい五無の心得
  易学に「五無の心得」というものがあります。易学はご存じのように、神道や仏教のような「宗教」ではありません。ですからその理論や内容はとても俗世的なもので、「いかにしたらお金持ちになれるか」とか、「どうすれば楽な一生を送れるか」などを追求するものです。ところが、たびたび「ともしび」にも書きましたように、易学も結局のところは、神や仏の教えと同じことを主張しているようになってしまうものです。
  この「五無の心得」も、本来は「どうしたら運勢をよくできるか」という観点で書かれたものですが、私どもが信仰の道を歩むにつけても、何かと参考になるように思います。では、具体的に紹介いたしましょう。

一、無理をするな
  わかってはいるが、どうしても無理をしなければならないことが人生にはあります。しかし、できるだけこれはつつしみたいものです。開運には、自己を反省し、無理を通さない穏やかな心がけが必要だといいます。

二、無茶をするな
  一見したところ、無理と同じように思いますが、実際には無理よりひどいのが無茶です。「無茶苦茶」というくらいですから。

三、無視をするな
  誰でも、自分にとって都合のよくないことだけを見たり聞いたりしたいもので、都合のよくないこと、耳の痛いことはかかわりあいになりたくないものです。しかし、そうやって無視をするたびに、幸運のチャンスは逃げていくものです。

四、無駄をするな
  運の悪い人というのは、何かにつけて、無駄の多い人生を送っているものです。たとえば、何年もかけて勉強をし、学校を出ても実際の生活に全く役に立っていなかったり、見栄をはるため必要ない物まで買いこんだり。このように、時間の無駄、労力の無駄、金銭の無駄が多いものです。人生の回り道をできるだけ少なくするのが、開運への第一歩といえます。

五、無益をするな
  無益とは、何も経済的なことだけを指しているのではありません。お金にならないこと、損をすることでも、自分の人生を浄化するために役立つことなら、どんどんやってかまいません。しかし逆に、お金になることでも、自分自身の徳を消すようなことをしてはなりません。

  いかがでしょうか。実践的な易学の教えですから、さぞさもしい内容が羅列してあるかと思えば、案外道徳的なものです。人の道をはずしては、お金持ちにも、幸せにもなれないということがおわかりでしょうか。なお、最後に「徳」という言葉が出てきましたが、易学では、世のため人ためにするすべてのことを、「徳」と呼んでいます。人のために奉仕し続けることは「徳」を積むことになり、さまざまな因縁を消し去るためのエネルギ-となる、と考えられています。さらにこの「徳」には、「陽徳」と「陰徳」があります。
  「陽徳」が人に知られる徳にあるのに対し、「陰徳」は世に知られない徳です。たとえば、恵まれない人にお金を差し出す場合に、名乗りをあげれば「陽徳」、名を告げずにそっとお金だけ贈れば「陰徳」です。まあ、何もお金をあげるだけが徳ではありません。家の近くの道を、人に知られず毎朝ホウキではいてきれいにしても、立派な陰徳です。
  そして、陽徳よりは陰徳を積んだほうが、より早く悪い因縁を消すことができるとされています。というのも、奉仕行為は、人からよく思われたい、ほめられたいと思ってやると、急にその質が落ちるからだそうです。また、邪心から出たにせの奉仕行為も長続きしません。電車の中で席をゆずるとか、ささいな奉仕でよいから、純粋に人の役に立ちたいという思いから発した行為こそが尊いとされています。
  やはりとどのつまりは、神と仏の教えと同じになりましたね。

ともしび                 
第六十八号 

壁を乗り越える大切さ
  大体子供は親から「勉強しろ」と小言を言われるものです。ところが、子供は勉強より遊ぶほうが楽しいものですから、いやがって勉強をやりません。そうするとますます周囲は勉強を強制し、本人はますます嫌になるわけです。これこそ世間で一番多い悪循環というものでしょう。こんなやり方を続ける限り、積極性がないので伸びようがありません。
  ただ、勉強だけがすべてでないとは言っても、今の社会では勉強しなければしないだけ、将来活動できる範囲が狭くなってしまうのも事実です。学歴偏重の社会から最近はずいぶん実力主義に変わってはまいりましたが、なんといっても学歴と資格は大きくものをいうものであります。まあ、子供がかわいそうには思っても、少なくても机の前でじっとする習慣がつくまでは、本人が嫌がってはいてもやはり「勉強しろ」という強制はするべきでしょう。
  だれでもこんなことは、最初は嫌でたまらないに決まっております。はじめから勉強が好きでたまらないという子供がいたら、どこかおかしいわけで、それこそ将来が心配です。だれも好きであんなことをやっているわけではありません。みんな同様に苦しいのですが、その壁を越えるとだんだん苦しさに慣れてくるのです。そして最初はあんなに苦痛だった勉強も、内容がある程度わかり、成績に反映するようになってくると、こんどある程度の楽しさを味わうこともできるようになるものです。よく、勉強ばかりしている子がいると、
「あんなに勉強ばかりしてかわいそうに」
という人がいますが、ある程度の学力がついた子にとっては、それほど勉強は苦しいものではありません。中には、ゲ-ムのように余裕をもってやっている子も本当にいるものです。こういう子供は、最初の苦しい壁を打ち破れた子であると言えましょう。そしてその壁を破るまで、親も指導の手をゆるめなかったわけです。そこに成功の鍵があるかもしれません。
  相撲のけいこほど大変なものはありません。最初は二人で組んで、体力の限界までけいこをします。ふらふらになって死にそうになったところで、次には二十人から三十人で勝ち抜き戦を、四時間から五時間ほどやります。これだけやったらもう生きているのが不思議なくらいですが、さらにそれから上位の人に当たって、ぶつかりげいこを延々と続けるのだそうです。
  おまけに兄弟子には殴られるわ、竹刀でたたかれるわ、寒中で水をぶっかけられるわ、入門したものがほとんどやめてしまうのも道理でありましょう。ただ、大成した力士はみな、その厳しい壁のところで挫折をせず、やけくそでもいいからとにかく前につき進み、なんとかやり抜いてしまうものです。大成するか挫折するかは、ともかくも最初の壁を乗り越えられるかどうかにかかっており、本当の楽しさも喜びも、悲しみもつらさも、その壁を越えてからでなければわからないでものではないでしょうか。
  学校を出て、会社につとめるようになると、最初は期待に胸をふくらませて、「この会社でがんばろう」
「この仕事でおれは生きていくんだ」
などと決心をするものです。しかし、そういう熱意が続くのはせいぜい半年もあればいいほうで、そのうち、
「こんなしんどい仕事はいやだ」
「上役が気に入らない。自分を評価してくれない」
「同僚が面白くない。人間関係がむずかしい」
などというぐちがこぼれてくるものです。中には本当にその職場がふさわしくない場合もあるでしょうが、ほとんどの場合は、うだつの上がらない自分のいたらなさをごまかすための口実だったりします。ほかに責任を転嫁して、すぐに会社をやめてしまうような人は、どこへ転職しても、満足できる場所は見つけられません。転職先でもちょっとつらいことや苦しいことがあれば、また「あれが悪い」「誰がどうだ」と都合のよい理由を見つけては、また転々とするだけになりやすいものです。
  「成功すること」とは、同じ道を歩き続ける中で、壁をのり越えていくことなのではないでしょうか。だれも自分一人だけでは、根気も続きませんし、挫折しない不屈の闘志はなかなか持てるものではありません。こういうときにこそ、信心の有無がものを言います。正しい信仰を持つ人は少々のことには動じません。現在が不幸でも、神仏が自分をよりよき方向に導いてくださることも知っております。私たちも、自信を持って人生を歩んでいきたいですね。

ともしび

第六十九号 

運勢をよくする心がけ

  「いったいどうしたら運勢がよくなるのか」について書かせていただきます。運命をよくするちょっとした「コツ」なのですが、これがなかなか重要なポイントでもありますので、ぜひよくお読みになって、参考にしてください。そのポイントは全部で五つありますので、来月にも続きます。

一、自分によい暗示を与えること
  経営学の研究家ジョゼフ・マ-フィ-は、その著書「マ-フィ-一〇〇の成功法則」でこう書いております。
「よいことを思えばよいことが起こる。悪いことを思えば悪いことが起こる」きわめて単純明快な理論ですが、たしかにこれは言えるのです。その証拠に、周囲にいる成功した人たちをよく見てください。彼らはみな、
「自分のやることは必ずうまくいく」
という絶対の自信を持っています。悪い言葉で言えば、まるでばかの一つ覚えのように信じ切っています。一代で財をなした経営者、たとえば松下幸之助とか、土光氏とかはみなそうです。たとえそれが思い込みであっても、思う信念は岩をも通すのたとえのように、こういう人たちはいつかは必ず成功してしまうものなのです。ノ-ベル賞科学者の湯川博士は、高校生の頃からたしかに優秀でしたが、その彼でも、入試前ともなると勉強がはかどらず、かなり不安にかられたそうです。そんなとき湯川少年は二階の窓をあけて、
「俺は天才だ、大学にも一発で入るんだ。将来はノ-ベル賞を取るんだ」
と叫んでいたそうです。当時はバカか気違いに思われていたでしょうね。それが本当にノ-ベル賞を取ってしまうのだから、すごい話です。
  これが反対のパタ-ンなら、困ったことになります。つまり、
「俺は何をやってもうまくいかない」
「ああ、また病気が重くなっていく」
「なんで自分ばかり不幸なんだ」
などと常にこぼしたりする人の場合です。こういう人の場合、本当に不幸な出来事しか起こらないから始末が悪いのです。
「ああ、いいことがない、いいことがない」
ということばかり言っていると、この言葉は本当に不幸を連れてきてしまいます。悲観主義者が成功した試しがありません。成功しないからぼやく、ぼやくといいことが起こらない、いいことがないからまたぼやくということになりかねません。誰もが知らず知らずのうちにおちいりやすい悪循環ですので、よくよく注意をいたしましょう。

二、自分の運勢のパタ-ンを知ること
  無事平穏で何の苦労もなく一生を終える人間などはいません。およそこの世の生き物で、好、不調の波を持たないものはいないと言えます。たとえば犬や猫でさえ、運、不運があるわけです。人生は直線では進めませんから、自分の運勢のパタ-ンをつかんでおくことは案外重要なことです。
  易学の「四柱推命(しちゅうすいめい)」と「紫薇斗数推命(しびとすうすいめい)」で算出すれば、だいたいの運命のサイクルがわかりますが、別に運勢鑑定によらずとも、これまでの人生をふりかえれば、おおまかなパタ-ンはだいたいわかってくるのではないでしょうか。
  たとえば、「目上と衝突しやすいタイプ」の人がいます。こういうタイプの人は、その反面で責任感が非常に強く、まかされたことは全力でやりとげますから、規模は小さくても自分が中心になって業績をあげられるような部署でがんばれば、とてもうまくいくわけです。そして、目上と接するには細心の注意をはらえばいいわけです。また、体調をくずしやすい人が、他人と同じように暴飲暴食を重ねれば早死にするのは当然でしょうが、若い頃から健康に気を配って生活すれば、人よりずっと長生きできるようになります。
  要は自分のライフサイクルをつかんだら、それを上手に利用して運勢を変える努力を怠らないことです。中には運勢鑑定の結果を聞くと、
「自分はどうせこんな宿命なんだ。運命だからどうしようもないんだ」
と、まるっきりあきらめてしまう人もたまにおられますが、それではいけません。未来は自分で作っていくものです。意欲のあるなら、運勢は変わります。

ともしび                 
第七十号 

運勢をよくする心がけ2
  先月に引き続いて、「運勢をよくする心がけ」についてお話しましょう。残りのポイントは三つです。

その三、時間と根気が必要である
  子供の非行などはこの典型のようなもので、一日や二日で生活がくずれてしまう子はいません。大体、非行に走るまでには何年、何十年というその子の生育暦があるわけですから、それが短期間でなおるわけがありません。ところが、困るとどうしても人間はあせりが出ますから、無理をしてかえって失敗をしがちです。最低でも半年から一年、それ以上の時間をかける必要がある場合もたくさんあります。まあ、ねばり強く取り組むのは何についても重要なことと言えましょうか。これまでツイていなかった自分の人生をよい方に変えるのですから、ス-パ-で物を買うようにはいきません。

その四、陰徳を積むのは大切です
  陰徳とは、「世に知られない徳」という意味です。世の中のよい行いには、「陽徳」と、「陰徳」があるといわれています。陽徳とは、その行為が世の中の人に知られる場合をいいます。これに対して陰徳は、その行いを人に知らせない場合です。
  たとえば困っている人にお金を贈るとします。この場合、名乗り出てお金を出すなら陽徳、名を告げずにそっとお金だけ贈るのは陰徳となります。陽徳より、陰徳を積んだほうが、自分の悪い運勢を変えるにはより効果的だと言われているようです。
  ただ、ここで一つ注意していただきたいのは、
「たくさんの寄付をしないと、徳は積めない」
と思っている人が意外に多いことです。というのも、世の中には、何十万、何百万の寄付を、「徳を積むため」と称して強制する人もいるからです。これはまことに難しい問題で、たしかに金銭を寄付して、自分のお金に対する執着を断ち切るという行(ぎょう)がないでもありません。しかし、それが寄付を集める方々の私利私欲から出たものであれば困ったことになります。江戸時代の狂歌(きょうか)に、
「世の人に  欲を捨てよと教えつつ
                            あとで拾うは  坊主なりけり」
というのがありますが、こうなっては何のための宗教かわかりません。
  それに、寄付をする方々が、
「自分はこれだけの寄付をしたから、これだけいいことがあるはずだ。ああ待ち遠しい」
という気持ちになってしまってもいけません。これでは株に投資して、値上がりのメリトを待つのと大して変わらず、何が陰徳なのかさっぱりわからない状態です。たしかに布施(ふせ)は大切な行ですが、金額の多少よりは、どれだけ真心がこもっているかが重要なのではないでしょうか。
  また、日常生活のもっとささいなこと、たとえば、電車でお年寄りに席をゆずるとか、近くの公園を毎日ホウキで掃いてきれいにするとかいうのも、立派な陰徳です。要するに心がこもっていることが一番肝心なのです。

その五、逆境体験が運を強くする
  甘やかされてぬくぬく育ってきた人はどうしても性格にもろいところがあり、何かで挫折すると全部がだめになりやすいものです。面白いことに、人の運気も同じなのです。苦労の連続を克服してきた経営者の強運などは、本当にちょっとやそっとでびくともしません。その反対に、三代目くらいのひ弱な経営者などは、ちょっとしたミスからすぐに会社をつぶしたりします。その意味では、いつも書くように、
「死なない程度に苦労する」
ことはとても大切なことなのです。易学の世界では、
「現在の苦労は悲しむべきではない。言わば天に貯金をするようなものだ」
ということを言いますが、これはたしかに言えることです。挫折した場合、どうしても信仰を持つ人の方が強いものです。そういう人なら、逆境も自分をみがくために神仏が与えたもうた試練ということがわかるからです。

合掌

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