第百四十一号
ミリンダ王の問いの話
ずっと以前の「ともしび」にも書きましたが、ギリシアの北方、マケドニアに英雄が現れたことがあります。その名はアレキサンダ-大王。彼は若くしてギリシア、ロ-マ、エジプト、アラビアを征服し、世界帝国を築きました。彼はインド遠征の途中でマラリアため三二歳で没しましたが、アレキサンダ-帝国の出現は後世に大きな影響を与えました。何しろ世界中にまたがる大帝国ですから、帝国内を東西の産物や技術者が盛んに行き交うようになったのです。 インド西部にもギリシア人の植民地ができ、大量のギリシア人が入植してきました。もともとインドの仏教には、仏像を作って拝むという習慣がありませんでした。そこへギリシアの彫刻師たちが大量に移りすみ、かつてビ-ナスやアポロンの神像を作っていた技術が生かされ、仏像が生み出されたのです。
ミリンダ(弥蘭陀)も、そのようなギリシア植民地の王だった人で、ギリシア名をメナンドロスといいました。この王と、インドの尼さんナ-ガセナとが仏教をめぐって問答をしたことがあり、「弥蘭陀王問経(みりんだおうもんきょう)」という名前で残っています。王は哲学の国ギリシアの人らしく、西洋的で論理的な思考の持ち主で、一方ナ-ガセナは仏教徒代表ですから、東洋的な発想をします。論理的思考というよりは、修行などの体験を元にした感覚的な結論の出し方をしているところがあって、読んでいると実におもしろいものです。
論理的な発想がいいのか、それとも感覚や経験ではじき出す結論がいいのか、どちらも一長一短といったところでしょう。自然科学の分野では、西洋的な論理的思考の方がすぐれているのは事実です。科学の発達が人間生活を豊かにし、病気にも打ち勝つすぐれた医術をはぐくんできたのは確かです。しかし、人間としての生き方の分野では、論理的にすべてを割り切れるものでもありません。どんな社会を作り、人間はどう生きていくべきかなどという問題については、論理的、科学的に結論をはじき出すだけでは、どうしても不備なところが生まれてきます。共産主義思想などがいい例です。理論上では、共産主義こそがもっとも科学的で、もっとも高度に発達したもののはずでした。社会の仕組みは、まず最初に原始社会があり、次に王様などが支配する独裁社会が生まれ、その次に資本主義社会となり、最後に労働者が支配する共産主義体制が生まれるという科学的説明がなされていたものです。ところが現実には、ソ連も東ヨーロッパ諸国も完全にずっこけてしまいました。中国は共産主義を部分修正して資本主義の活力を取り入れ、今のところは繁栄していますが、いずれ民主主義勢力が台頭してやっていけなくなるのは目に見えています。
なぜ共産主義が失敗してしまったのかというと、すべてを論理的にわりきれるものと考えすぎてしまったからに他なりません。無神論の国家だったからことからもわかるように、理屈にあうものはよし、あわないものはだめと割り切りすぎてしまいました。「人生には五つの計算がある」そうですがその内訳は、
足し算 引き算
割り算 かけ算
誤算
だそうです。4つめの「わり算」までは論理的思考でどうにでもできますが、5つめの「誤算」が意外に大きな要素で、どんなことをするにあたってもこういうトラブルをさけることは出来ません。人生の誤算に対応するには、トラブルの種類に応じてそれこそ千差万別のやり方があり、一概に「こうしていけばいい」とはっきり決めることは出来ません。人間関係の改善が最良の方法である場合もあるし、損得をはなれた誠意で事態が解決することもあります。こんな分野まで共産主義では「科学的解決」をすることにこだわり、結果として体制の崩壊を招いてしまったのです。さまざまなトラブルに対して共産諸国がどう対処したかというと、それが「プロレタリアートによる独裁体制」です。これは労働者の代表に権力を集中させ、独裁体制をしいて反対意見を封じ込めるという方法でした。絶対権力は絶対に腐敗するものです。論理一本では、どうしてもやり方に無理があることがおわかりでしょう。
先ほどの「ミリンダ王の問い」も、哲学論争の末結局は仏教徒のナ-ガセナの説く教えに、ミリンダ王が脱帽して終わっています。仏教徒側の作った教典ですから当然の結論とも言えましょうが、信仰を持つ人ならば、理屈より実践の方が価値を持つことも多いことをご存じでしょう。へ理屈をこねるよりもまず汗をかいて努力することが、大切な場合も多いはずです。
第百四十二号
人生を見直す
「人生をやり直すことはできないが、見直すことは出来る」
浄土真宗の寺院にはよくこれがあがっていますが、含蓄がある言葉です。人生というのは解釈一つで、有意義にもなり、無為にも取れるということが多いものでしょう。
ヘロドトスの「歴史」にあるエピソ-ドにこんなものがあります。古代ペルシャ帝国のダレイオス王が、スキタイ軍と対戦しました。ある日、スキタイ軍からダレイオス王に使者が送られてきましたが、使者は普通たずさえるべき文書を持っていませんでした、かわりに持ってきたのが、
小鳥とネズミ、カエルと五本の矢です。使者は
「ペルシャ人に知恵があるなら、贈り物の意味を自分で考えていただきたい」
と言って引き上げてしまいました。ずいぶん謎めいています。ダレイオス王は、
「ネズミは地中に住み、カエルは水中に住む。つまりこれは、我がペルシアの国の威信からは、のがれられないという事を意味しているのだろう。スキタイは我が軍が攻め込めば、講和に応じるのではないか」
のんびりしたものです。ところが臣下の一人は、こう答えました。
「王様、その解釈では小鳥と矢の説明がつきません。スキタイの言わんとすることは、多分こうでありましょう。小鳥のように空に飛び上がろうとも、ネズミのように地中にもぐろうとも、カエルのように水中にひそもうとも、我がスキタイの矢からはのがれる事ができまい。スキタイとは全面戦争です」
ダレイオス王は顔色を変えて全軍に命令を下しました。はたして臣下の言うとおりに、スキタイ軍はすでに総攻撃の準備を終えていましたが、ペルシャの対応もすばやかったため、戦争はペルシア軍の勝利に終わりました。
相手の示した謎に対しても、受け取る人によってはこんなに解釈が違うのです。人より出世がしたい、人よりぜいたくがしたいという「世間一般の目」で人生を見る限り、平穏無事な一日は退屈なつまらぬ日々に見えるでしょうし、地道だが重要なポストは、うだつのあがらない窓際族の地位に見えるのではないでしょうか。
一度身の回りの事を改めて、見直してみたいものです。そうすると私たちも意外な「思い違い」をたくさんしているのに気がつくのではないでしょうか。
「つもり違い十ケ条」というものがあります。
高いつもりで低いのが教養
低いつもりで高いのが気位(きぐらい)
深いつもりで浅いのが知識
浅いつもりで深いのが物欲(ぶつよく)
厚いつもりで薄いのが人情
薄いつもりで厚いのが面の皮(つらのかわ)
強いつもりで弱いのが根性
弱いつもりで強いのが自我(じが)
多いつもりで少ないのが分別(ふんべつ)
少ないつもりで多いのが無駄(むだ)
なのだそうです。自分の好きなように進む人生というものはまずありません。みなどこかでなにがしかの思い違いをし、ままならない人生だといってぐちをこぼします。わが身を振り返ってこれまでの人生を「見直し」てみると、これまで気がつかなかった自らの反省点などに気がつくものなのではないでしょうか。
子育てなどにも同じことが言えます。子供というものはなかなか親の願い通りには育ちませんが、親の悪いところには皮肉にも似てきます。親としては、
「自分は勉強しなかったから、子供だけはしっかり勉強が出来るようになってぼしい」
などという願いを当然持ちます。ところが「勉強嫌い」という性質もDNAの遺伝子情報に組み込まれて、大体の場合子供にも遺伝していますから、当然のごとく子供も勉強が嫌いです。考えてみれば当たり前の話なのに、我々はカッカとして子供にあたったりしてしまいます。子供の幸福のためにも、我が目を見直してみたいものです。たとえ勉強が出来なくても、身体が強いとか、気持ちがやさしいとか、「見直し」さえすればいくらでも長所は見つかるでしょう。
第百四十三号
幸福とは
江戸時代の戯れ歌(ざれうた)にこんなものがあります。
幸せは 弥生(やよい)三月花の頃
おまえ十九で わしゃ二十歳(はたち)
死なぬ子三人 親孝行
使って減らぬ金百両
死んでも命があるように
思わず吹き出すような内容ですが、人生にぐちをこぼしてばかりいるならば、幸福な人生はこんな願いが全部かなわない限り、やってこないということが分かりましょう。現実はこれとは全く逆といってもさしつかえがありません。
季節は春三月頃の、暑すぎず寒すぎずの状態が、誰でもいいに決まっています。しかし実際には寒い冬もあり、暑い夏もあり、台風も来るし日照りで水不足も起こります。厳しい自然環境が不屈の意志をはぐくむという要素もあります。そのため歴史上の偉人の出身地は、大体が自然環境の厳しい東北、四国、九州地方で占められています。
年を取るのも人間には避けられない運命です。いつまでも十九や二十歳でいられたらいいのですが、現実にはそうはいきません。必ず中年をむかえ、老いがやってきます。同じように戯れ歌を歌うなら、
「母親の テニス姿に 目をそむけ」
「化粧品 年々減りが 早くなり」
というものの方が、現実に近いのではないでしょうか。
「死なぬ子三人 親孝行」というのも、気持ちはわかりますがなかなかうまくはいきません。子どもが病弱でいつもはらはらしなければならないこともありますし、親孝行してくれるかどうかについても、確たる保障はありません。下手をすると親孝行どころか、子どもの非行に手を焼いて死ぬような苦しみを味わったりすることさえあります。場合によっては子どもに恵まれなかった方がましだったと思える場合すらあるでしょう。そこまでひどくはなくとも、「世代のギャップ」などで、親子関係がぎくしゃくすることも多いものです。「親孝行 したいときには 親はなし」
と言いますが、親子関係がこじれると、
「親孝行 したくないのに 親はおり」
になってしまいます。まあ、当然のルールとして、自分がわが子に老後の世話をしてほしいならば、我が親の老後の世話をしっかりしておくべきでしょう。自分は親の面倒をみないでいながら、わが子には老後をみてもらうように要求するのでは、あまりにも自分勝手というものでしょう。目上を敬うとか、年寄りを大事にするとかいうのは大体が家庭の雰囲気の中で自然に形成されていくものですから、自分が我が親にどう接しているかということは、子どもを教育していくのに非常に大切です。父母がおじいちゃん、おばあちゃんを邪見に扱っている家庭に育つ子どもは、「目上にも反抗しても別にかまわないのだ」という雰囲気の中で育つわけですから、非行に走りやすいのもまた、当然なのではないでしょうか。
「使って減らぬ金百両」に至っては、全くのナンセンスです。しかし私たちはそのナンセンスな夢を追いかけてしまいがちな存在です。飽きることのない所有欲の追求は、結局は私たち自身を追いつめ、自らの作りだしたストレスで身を滅ぼす事になりかねません。
人生は無常です。人生には3つの坂があるとも言います。それは、
上り坂
下り坂
まさか
なのだそうです。世俗の欲得ばかりで生きていく限り、乗り越えられるのは最初の「上り坂」だけです。現実は「下り坂」と「まさか」の方がよほどたくさんあるものです。そんなときには、信仰という杖しか頼るものはありますまい。
第百四十四号
ビュリダンのろばの話
フランスの昔話に、「ビュリダンのろば」というお話があります。あるところに、ペコペコに腹をすかせたろばがおりました。彼は歩き回ったすえに干し草の山を見つけたのですが、いざ食べようとすると、かたわらにもう一つの干し草の山を目にしました。二つの干し草の山は、量といい草の質といい、何から何までまったく同じなのです。ろばは迷いはじめました。右の山から食べようと思って、右に向かって二、三歩歩むと、左のほうがおいしそうに見えます。それで左に行くと、こんどは右のほうがおいしそうに見えます。
翌朝、ろばは二つの干し草のあいだに倒れて、飢え死にしてしまったという話です。馬鹿なろばでありまして、どちらも同じなら、早いこと食べてしまえばよいのです。しかし、私たちもこの馬鹿ろばのことを笑ってばかりもいられません。いつまでも迷ったり、くよくよするばかりで結論がまったく出せないということも往々にしてあります。
相手と和解すべきか、思い切って相手をあきらめてしまうべきか、いつまでたってもぐずぐずと宙ぶらりんの状態が続く人もいたりします。「このままではいけない」とは思うものの、いつまでたっても思い切れないとか、いつまでも過去のことをくよくよと思い悩むばかりで、
「あああのとき、こうすればよかった、あの出来事さえ起こらなければもっといい生活が送れていたのに、なんて自分は不幸なのだろう。」
と、いつまでもマイナスの考え方ばかりを持って、自分の将来まで出口の見えないトンネルのように真っ暗にしてしまう人も結構いるものです。なにかにつけて不満を言う人や、ぐちばかりこぼす人、くよくよしやすい人には絶対によいことが起らないのも、また真実です。
もっとも、あまり割りきりが極端なのも考えものでして、仕事が嫌だからとすぐにやめてしまい、明日の生活費に困るとか、家庭が不満だからとすぐ家を飛び出しりするのは、優柔不断よりさらにまずいことです。人間の長い歴史をひもといても、前後の見境なしに行動する人がうまくいったためしだけはありませんので、この点は気をつけたいものです。やはり世の中「ほどほど」が大切でしょう。
ともあれ、十分に条件を考えた上でさえあれば、あれこれ迷うのは禁物です。ぐずぐずしているひまがあれば実行にうつす方がよいでしょう。
ある大学教授が著作に書いていたことですが、最近は自分が本当は何になりたいかを決めずに高校や大学に入学する生徒が多いせいか、人生相談に来る生徒が増えてきたそうです。その中でも一番多い相談は、
「この大学をやめて、別の大学に転学したほうがいいか」
というものだそうです。そこで教授は、
「君は本当に、この大学に残ってもいいし、別の大学にかわってもいいと思っているんだね。」
と念を押します。学生は、
「はい、どっちでもいいのです。」
「何をやりたいと思ってこの大学に来たのかな。」
「自分でもわかりません。」
「ではこうしよう。このサイコロをふって、偶数ならこの大学に残る、奇数なら別の大学に行きなさい。」
大抵の学生が怒って帰ってしまうそうですが、考えてみれば、賢い方法でもあります。どちらにしても同じなら、早いことサイコロで決めて自分の道を一生懸命進むのが無駄がないというものでしょう。
これも、学生が人生のいろいろな問題に一つずつ『正解』があるように思っているからでありましょう。ちょうどテストの解答のように、この答えならマル、この答えならバツと、点数まで出るようなイメ-ジがあったりとかするのでしょう。しかし、人生に一つの『正解』などというものはありません。人生を二回くりかえしてみて、よかったほうを取るなどということができるわけでもありません。
当寺院には大変たくさんの相談事が寄せられますが、一つのことをいつまでも思い悩む人というのがいます。この手の人は悩むのがほとんど「趣味」のようになってしまっているのですが、おかげで体調はすぐれず気は晴れず、人生の半分以上を無駄に使っているのは間違いない状態です。自分の気持ちで自ら不幸を手繰り寄せているとしか思えません。これは非常に不幸な人生ですが、自分の気持ちから際限ないマイナスの循環が生じている以上、全ては「自分でまいた種である」としか言いようがないのです。
人生の道は自分の責任で決め、自分が今歩いている道をしっかりと歩むしか方法がないのです。自分の生き方が間違っていなかったかが本当にわかるのは、それこそ棺(ひつぎ)のふたをおおってからでありましょう。そのためにも、私たちは息がある間に、神仏の声に耳を傾け、足りないものはおぎない、改めるべきは改めたいものです。
第百四十五号
ハイテク技術の限界
私は一応国語教師をしておりますが、理系出身なので数学の教員免許もあり、祈祷僧をしているわりには病院も薬も大好きです。テクノロジーも大好きなのですが、困ったことに、最新のテクノロジーというのは、必ず悪用されます。と言いますか、基本的に最新技術というものは必ず軍事に利用されます。一例を挙げますとインターネットがそうでして、東西冷戦のころ、旧ソ連からの核攻撃でペンタゴンが壊滅してしまうと報復攻撃が出来ないから、アメリカ中のコンピューターをネットーワークで結び、中心司令施設がやられても、他の都市から報復ミサイルが発射できるようにしたものが発端でありまして、もともとは立派な軍事技術なのです。
フランス革命当時、死刑囚の処刑法は残酷なものでした。オノで首を落とすのですが、人間の肉体を切ると脂肪分が刃につくため、すぐに切れ味が落ちるのです。切れの悪いオノで処刑するため、血まみれになってもなかなか死ねない死刑囚の苦しみようは、たいへんなものでした。見かねたある医師が「せめて死刑囚が苦しまずに死ねるように」と、上から鋭利な刃が落ちる処刑台を考案しました。発明者の名前を取って、その処刑台には「ギロチン台」という名前がつきました。医師が善意で開発した処刑台だったのですが、おかげで処刑の効率が飛躍的に伸び、フランス革命当時で政情が非常に不安定だったこともあって、前よりはるかにたくさんの人が処刑されてしまうようになりました。ギロチン医師自身も密告され、自分の開発した処刑台で首を落とされるはめになってしまったのです。
炭坑で石炭を掘るのには爆発物をしかけ、大きな岩を吹き飛ばす必要があります。昔はニトログリセリンが使われておりました。これはどろりとした液体状のものなのですが、不安定でちょっとの振動でも爆発してしまいます。そのため爆発事故で命を落とす炭坑夫が多くおりました。炭坑夫の命を救いたい一心で、ノーベルは珪藻土(けいそうど)にニトログリセリンを染み込ませる方法を発見し、新種の爆薬を発明しました。これなら導火線に火をつけない限り、滅多なことでは爆発しません。研究の途中で自宅で誤って爆発が起こり、ノーベルの奥さんと娘が爆死してしまうという代償まで払って、開発されたのがダイナマイトです。ところがちょうど第一次世界大戦が起こり、ダイナマイトは戦争で使われ、多くの兵士の命を奪う殺人兵器となってしまいました。悲しんだノーベルは遺産を元にして、平和のため、人類のために尽くした者に名誉と賞金を与えることとしたのです。これがノーベル賞の誕生のいきさつです。
マンハッタン計画にかかわった科学者はみな「新型爆弾の投下によって戦争を終わらせ、多くのアメリカ兵士の命を救うことが出来る。我々のやっていることは正義だ」と信じていました。しかし完成した原爆は広島と長崎に投下され、一瞬にして何十万人もの民間人の命を奪うこととなりました。開発した科学者のうち、ある者は現在に至るまで原爆投下の正当性を主張し、ある者は罪の意識にさいなまれ、原水爆禁止運動に協力するようになったのです。
世界初めてのクローン羊「ドリー」を作った博士は、実は難病の治療の特効薬を大量生産するための研究の結果、この成果を得たそうです。イギリスに多いという、ある遺伝性の難病の特効薬は、品種改良された特殊な体質の羊からしか取れません。特殊な体質の羊同士を交配させても、同様の体質を持つ子羊がなかなか生まれず、薬が作れずにいたのが現状でした。ところが特殊な体質の羊一匹から細胞を取って培養し、クローンを作れば、薬の大量生産が可能となるのです。博士は病人の命を救う特効薬を作りたくて、クローン羊を生み出したのでした。
しかし、個人の善意で始まったことが、いつも善意で終わるとは限らないということはおわかりいただけたでしょう。どうしても倫理とか宗教とかの「タガ」をはめない限り、この技術がいつなんどき悪用されないとも限りません。アメリカにも日本にも規制の法律がないのですが、一番心配なのは日本です。アメリカはなんだかんだと言いながらも、まだまだ宗教が政治に大きな影響力を持っています。クローン技術についてカトリックの総本山のローマ法王は、強い不快感を表明しました。「悪魔の技術だ」とでも言わんばかりです。カトリック勢力の反発は当然、アメリカがバイオ関連で暴走をしそうなときにも、当然反対勢力として働くでしょう。
しかし日本は社会にしっかりした影響力を持つという形での宗教の力が、非常に弱い国です。お寺は死んでから行くものと考えられている風潮のようなものが、残念ながらあります。別に宗教は年中行事でも、伝統芸能でもないのですが、全く頭の痛いところです。一人一人がしっかりした信仰を持ち、自らの良心に従って行動することを心がけるしかないでありましょう。
第百四十六号
欲望もまた清浄
一般の仏教では、欲を捨てよと説きます。しかし、密教は少し考え方が違います。欲望そのものが悪いものなのではなく、間違った欲を持つことが悪いことだと考えるのです。真言宗の根本経典の一つである「理趣経」というお経には、「全ての欲望は本来清いものである」という、一般の仏教になじみの深い人が聞いたら、それこそ耳を疑うようなことが書かれています。もう少し具体的に考えてみましょう。金銭欲、出世欲など欲望にはさまざまな種類がありますが、根本となる欲は何かとつきつめていくと、究極のものとしては食欲と性欲に行きつきます。生物である以上、この二つの欲求は必須であって、これがなければ生命活動が続いていかないとも言えます。食欲がなくなってしまうと、それは拒食症という病気そのものでありまして、早急に受診して治療してもらわないと命にかかわります。性欲がなくなってしまっても、それもまた深刻な病気ですので、やはり医者にかかる必要が生じます。ですから、「欲を捨てよという教えを忠実に守ってしまうと、健康体と言えなくなってしまう」という、論理的に非常におかしなことが起きてきてしまうのです。
ヨガに「性欲を静めるポース」というのがあるそうです。
「やり方は、起立して両手の手のひらで両ひざの外側をはさみ、そのまま内側に向かってテンションをかけていきます。
その力に対抗するように両ひざを外側に開くように力を入れます。
こうすることで性欲を抑えられるそうです。」
ということですが、たぶん、あんまり効果はないでしょう。(爆笑)どういう状況でこれが必要になるのかという点でもはなはだ疑問ですし、生物の二大欲求をなめちゃいけないと思います。
人間こそあれこれ難しいことを考えますが、早い話がそのへんにいるワンちゃん猫ちゃんを見てみればよろしいです。彼らが
「生きていて何になるのか、考えると結論が出ずにほとほと嫌になりました。」
とか、
「人生にすっかり疲れて、うつになりました。」
と言ってきたのを目にしたことは、いまだにありません。ご飯を食べたら寝る、ヒマがあったら遊ぶ、やっていることはたったこれだけです。ずいぶん昔にはやったキャッチコピーで、
「くうねるあそぶ」
というのがありましたが、人生の幸せを一言で言ってしまえばこれが本当に本質なのではないかと思います。ご飯が食べられて、ちゃんと寝られて、適当に遊べたらそれで一生はとりあえず及第点、生まれてきてよかったと言えるレベルだと言えるのではないでしょうか。ワンちゃん猫ちゃんを見ていると、本当に本能のままに生きてますが、人生に疲れている子は一人(一匹?)もおりません。みな目をきらきらさせて精一杯生きています。初期の段階から仏教は性欲には非常に否定的で、初期仏典の中に熱心な仏教徒のご夫婦の話が載っていて、二人とも若いというのに、ご主人は奥さんの体に一切触れないようにして生活していた、なんてことが書いてあったことがあります。これを読んだ当時、私は高校生でしたが、
「じゃあ、なんのためにこの二人は結婚してるんだ?」
という疑問がわきました。
「こんな人生送りたくないな。」
とも思ったのが正直な感想です。
現在では「超・草食系の二人」ということになるのでしょうが、こういうケースが増えてしまって出生率は低下の一方をたどり、猛烈な少子高齢化社会の弊害があちこちに出ているのですから、どう考えてもおかしいと言わざるを得ません。欲望が悪いのではなくて、欲望が暴走するのが悪いのだと思います。ワンちゃん猫ちゃんの欲望は、当座生きていくためだけのものであって、腹がいっぱいになったらそれ以上獲物を捕ることもしませんし、必要最小限にとどまっています.。この姿が一番正しいのではないかと常々思います。宗教でこの発想に一番近いのは日本の神道で、神道はこの「必要最小限のことで満足する素直な心」を「清(きよ)き明(あ)けき心」と呼んで尊重しています。仏教でこの考え方に一番近いのは真言宗で、最初にあげた「理趣経」の教えがほぼこれです。そのため、真言宗と神道は昔から非常に親和性が高く、真言宗で神道を兼ねている寺院は結構あり、当院はその代表ともいえます。
仏さまの曇りのない目でご覧になれば、私たちの肉体は欲望も含めてすべてが清浄なのですが、私たちは自らの愚かさによって、備わった欲望を暴走させてしまいがちです。腹八分目にしておけばそんなに病気にはかからないものなのに、自らの食欲に負けると暴飲暴食におちいります。生物である以上性欲があるのは必須なのですが、不倫に走って家庭や社会的地位を台無しにするケースがあとをたちません。これは私たちの目が煩悩で曇ってしまい、本質を見られなくなってしまうからに他なりません。ハイテクの時代に入ってずいぶんたちますが、人間の愚かな本質は現代にいたっても何も変わっておりません。先人達の残された言葉をかみしめ、よりよい明日を生きる指標としたいものであります。
第百四十七号
転んだら起きる
ひょんなことから一冊の古い本を手に入れました。読まなかったら、紙資源にしてしまえばいいというくらいの軽い気持ちで、当然ただなのですが、予想外にいいことが書いてありました。
本の題名は「若人に贈ることば」です。著者は赤尾好夫という人で、旺文社の創設者で初代社長だとか。さっぱりなじみがないなあと思っていたら、ひょんなことで思いだしたのが、「赤尾のマメ単」という単語帳でした。1970年代の受験生にとっては、受験のバイブルみたいに言われていた単語帳で、これをやってないと一人前じゃないくらいの権威があった本です。最初のページにいきなり「人間は忘れる動物である。忘れる以上に覚えることである。赤尾好夫」と書いてあって、このページが妙に説教くさくて、げんなりした私は別の単語帳にして、それで受験を乗りきってしまったのでした。
そんなことを思い出しながら、今度の本を読んでみると、内容は予想にたがわす実に説教くさいです。しかし、非常にいいこともたくさん書いてあるのも事実で、一番いいと思ったのが、なんと言っても最初の話でした。以下、原文を引用します。
転んだら起きる
奥多摩のさらに奥、大菩薩峠(だいぼさつとうげ)に近い所のある山に登った。調査の必要があって、東京都の役人や土地の案内人といっしょであった。海抜千四百メートルぐらいで、普通の高さの山であるが、急勾配のため疲れる。夏の山はさわやかで、駒鳥(こまどり)やうぐいすが鳴いてすてきだ。富士や大菩薩や雲取山がみえる。東京ものはすっかり疲れて風景を賛美したり、鳥の声に聞き入るようなふうをしては休むのである。
山の中腹に七、八戸の小さな部落がある。平家の落人(おちうど)だと伝えられているが、とんでもない所に家を作ったものだと驚嘆した。四十度以上の角度の所を切り開いて住みついたのである。こどもは一里以上の小道、道といってもくまの通るような道で、やわらかい、小石でうっかりするとすべり落ちる、その道を通って学校に通っている。小学校二、三年生ぐらいの女の子たちが数名、ひどい傾斜の道を平気で降りて行く。
気になる。ひとりの役人が声をかけた
「君たちは実に達者だな。だがこんなひどい道で転んだらどうする」
利発そうな目のクリクリしているかわいい子がふり返った。
「おじさんはおかしなことを言うね。転んだら起きてまた歩けばいいじゃないか」
役人と私とは目を見合った。私は心の中でうなった。子供をみると、みんな平気で早足で降りて行く。
「転んだら起きてまた歩けばいいじゃないか」もう一度私は自分に言いきかせて、気の弱い青年の事を頭に思い浮かべたのである。
原文はここまでです。ごく短い文章ですが、これを読んで目の覚めるような思いがしました。筆者は大学受験の専門家だったので、最後のあたりに出てくる青年というのは、失敗したらどうしよう、不合格だったらどうしようと心配ばかりしている、弱気な受験生のことでしょうが、我々一般の人間にも、等しく当てはまることなのです。挫折のない人生は存在しません。何か新しいことに挑戦した場合、成功するのはチャレンジ数1000回に対して3回程度と言われていますから、997回は失敗します。確率的にうまくいかないのが当然なのですが、私たちは、他の人はうまくいっているのに、なぜ自分だけ失敗するのか、どうして自分はこんな不運な境遇に生まれてきたのか、転んだらどうなるのか、転ぶのが怖くて仕方がないとか、ありとあらゆることを考えます。これらはみな、お釈迦様のいう煩悩、迷いそのものに他なりません。なぜ転んだのか理由を考えるのはとても大事なことで、失敗から多くのものを得られるのは事実ですが、いつまでもくよくよしているだけということになりかねません。「転んだらどうしよう」と気に病んでばかりというのは、典型的な愚の骨頂の生き方です。
「転んだらまた起きて歩けばいいじゃないか」
本当にそうなのです。この記事は昭和三十二年十月の記録がありますから、もう七十年近く前の話で、著者の赤尾氏はとっくの昔、昭和の時代に他界してしまっているし、この言葉を言った子も、場合によってはもう亡くなっているかもしれません。しかし、時代がいくら変わろうとも、真理であり神仏の教えそのものと言えるでしょう。
第百四十八号
適性とは何か
先月号に引き続き、赤尾好夫氏の「若人におくることば」から引用します。今月は「適性」という章です。
適性
人間というものは、九割以上の人が自分の性格に最も適したと思う職業には携わっていないと思っているらしい。そういえば、まだかつて自分の性格に最も適したと思っている仕事に携わっているという人にお目にかかったことがない。
私は、電子計算機でやってみたところが、建築家と出た。わが意を得たりというところである。自分のいちばん好きなものの一つで、私は暇をみては内外の建築の本をながめでは楽しんでいる。 一生に一度はこんな家にはいってみたいなぞと夢を描いて喜んでいる。しかし、建築家になった場合を想定してみても、これではたして満足したかどうかは疑問である。
さて、九〇%以上の人が自分の性格に最も適した職業に携わっていないと考えることは、まことに残念なことである。性格に合った仕事に携わることこそ、その才能を伸ばす絶好の方法にまちがいないからである。しかしまた考えようによっては、これは一つの救いでもある。人おのおの自分の携わっている職業がそれほど満足したものでもなく、胸を張れるほど誇りうる成果もないとしたならば、最適の仕事であるとは考えたくないかもしれない。
それにしても、性格に適した職業こそ、その能力をフルに発揮するゆえんであるとしたならば、そのために最善の努力はつくしたいものである。人は、いかに学ぶかについては真剣に考えるが、いかに生きるかについてはあまり考えないようである。学問を教えてくれる権威ある先生は多いが、進路指導をしてくださるような先生は少ない。やはり、みずから努力して結論を発見しなくてはならない。 昭和三十九年九月
以上です。赤尾氏は旺文社を創設して若い人の受験指導にあたっていましたので、このような進路選択の話がよく出てきます。氏が「九〇%の人は希望した道に進んでいない」と書いているのは、おそらく本当でしょう。まずひとつめには、小さい頃から子どもたちがあこがれる仕事というと、公務員とか一流企業の商社マンとか、場合によったらタレントとかアイドルとか、今のご時世だとYouTuberとか、いろいろあるのですが、夢をかなえてそれでご飯が食べていけるのは、ほんの一握りです。好きだからとか、自分に合っているからという理由だけで、おまんまが食べていけるほど世の中は甘くないということです。
ふたつめに、遊びや趣味でやっているのと、仕事にするのとは全く違うということがあります。いけばなの講習会に出ると、池坊本部からプロ講師が派遣されてきますが、ほぼ全員が男性です。そして例外なく、自分がプロ講師になった際のいきさつを話してくれますが、みな一様に、
「生け花のプロになりたい」
と、自分が師事していた先生に相談すると、
「本気か?趣味でやっている方が楽だし楽しいぞ。やめといたほうがいい。やるんなら相当大変だぞ。」
と言われています。実際、激務で体を壊してやめてしまう人も多いです。好きなことをやるというのと、それでご飯を食べるということは、全く別のものなのですね。
赤尾氏は「九〇%以上の人が自分の性格に最も適した職業に携わっていないと考えることは、まことに残念なことである」と書いていますが、これは少し検討の余地がありそうです。というのも、
「自分に向いた仕事=好きなことをしてお金がもらえるもの」
と考えられている風潮が少なからずあるからです。好きなことをした場合、お金をもらうのではなく、必ずお金を払わなければなりません。例えばディズニーランドやUSJで丸一日遊んで、とても楽しかったとします。そこで、
「一日好きなことをやって、とても楽しかったから、私にお金をください。」
と言ったら、「病院に行け」と言われてしまいます。楽しいこと、好きなことをした場合は、こちらからお金を払うのが普通なのです。
では、どういう時にお金がもらえるのかというと、靴底を減らして歩き回り、得意先に頭を下げ、顧客のクレームに必死に対応して、くたくたになって疲れて帰ると、
「よく我慢したね。これはごほうび。」
としてもらえるのがお金なのです。我慢したのと引き替えにもらえるのが賃金であって、好きなことをしてもらえるものでは決してありません。ここを間違っている人が非常に多いと思います。
第百四十九号
適性とは何か 続き
先月号で「適性」についてお話ししました。旺文社初代社長の赤尾氏の原稿を紹介し、「90パーセントの人は適性のある仕事についていない」という話を紹介しました。先月はそれについての解説を長々と述べましたが、今月は私自身のことについて少々お話ししようと思います。
私自身の経験から言いますと、かなり極端な意見ですが、適性のある仕事につく必要など全くないと思います。私自身理系の出身で、本当にやりたかったのは海洋生物学でした。でもそれでは絶対ご飯が食べられませんから、早々と希望進路からは消え、理系在籍のまま入試を受けたら、日大の歯学部に合格しました。しかし、今後は歯医者さんは過当競争で食べていけなくなるだろうと断念。この選択は非常に的確でした。
次は料理の道で、小さい頃から料理がとても得意だったので、大学に受からなかったら、辻調理師専門学校に行くつもりでしたが、幸いに大学に受かったので、コックの道もなくなりました。
合格したのが滋賀大教育学部だったので、仕方なく教師になったんです。これは理系出身者には本当に多いパターンで、機械とかデータとつきあっているほうが圧倒的に楽しく、人間相手なんて面倒くさくて仕方ないんです。当然のごとく理科の教師を目指しましたが、現職の教師の人から、理科は採用が非常に少なく、転勤もしにくいからやめた方がいいと言われ(これは本当のことでした)、家が寺だし、理科じゃなかったら何でもいいやと思って国語教師になってしまったのです。
そういう事情なので、私は数学の免許も持っているし、英語や社会や書道も持っているのですが、もともと理系出身だから、一般の国語の授業はさっぱり理解できません。だいたいの場合、国語の授業では、芥川龍之介の作品をやる前には、一時間くらい芥川龍之介の人生について長々と先生が解説して、そのあとも先生が自分の感想を延々と話すのです。定期テストですと、先生か話した内容を覚えておけば点数は取れますが、実力テストや入試じゃ、横に先生がついてくれて解説してくれるわけじゃありませんから、手も足も出ません。困って現代文の先生に相談に行って、
「どうしたら現代文が出来るようになるんですか。」
って聞いたら、
「それはな、佐々木、本を読め。たくさん本を読んだら出来るようになる。」
と言われて、じゃあ、何のために授業してるんだと。こんな授業受けるだけ無駄で、その時間に図書館行って本読んでる方がはるかにましなわけです。国語教師になってからも、なんで国語には解法ってやつが全くないのかと疑問で仕方ないわけです。数学で公式も何もなくて問題解くなんてありえないし、理科でテキトーに薬品混ぜましょうなんてやったら、爆発するとか有毒ガス発生するとかで命に関わります。
国語教師になって分かったのですが、他の国語の先生には、高校あたりで影響を受けた恩師がいるんです。その先生が語る文学論に感化されて、自分も国語教師をめざそうと思ったという動機が非常に多いのですが、理系出身の私にとっては全く縁もゆかりもない世界です。恩師がウンチクを延々と語るスタイルの授業をやっていたので、それを自分の代でも再生産しているようなものです。だいたいのパーセントで言うと、全体の5%くらいの生徒が目を輝かせて国語の先生のウンチクと文学論に聞き入り、それが次の国語の先生になっていくという繰り返しです。40人のクラスだと2人か3人しかおらず、あとの生徒はドッチラケてるか寝ているか「内職」しているんです。私はこれを「5%内の国語教員再生産システム」と呼んでいます。
こんな感じで、明らかに残り95%の、畑違いの分野出身の私にとっては、非常識極まりないのが国語の世界で、じゃあ自分で解法作ろうと思って作ったら、出版社8社と契約することになり、参考書は50冊近く執筆、教科書まで書くはめになりました。この内容を国語の先生向けに講演会で話したら、助言者として来ていた文部科学省の担当の人が、
「佐々木先生の言うことは全面的に正しいです。国語の問題を的確についています。これからの国語教育は先生のようなやり方でないといけません。」
と言ったのにはたまげました。少し前まで異端者扱いだったのに、いつの間にか時代の方が私に追いついてきました。今やまさかの、文部科学省お墨付きになってしまったのです。
こんなことは、畑違いの出身でない限り思いつけません。適性にあってないから仕事ができないと思っている人がめちゃくちゃ多いのですが、適性なんて合致するほうが珍しいし、既成の枠をぶち破るという発想は恐らく生まれません。適性なんて、仕事とあってないのが当たり前でありまして、だからこそ道が開けるのだと思います。
第百四五十号
正面を見よ
最近よく引用している、赤尾氏の書いた本の内容です。今月はこのようなものです。
正面を見よ
動物の目のついている所はさまざまである。頭の上についているのもあれば、横についているのもあるし、前についているのもある。諸君は、動物学をやって承知のように、すべて、生物は必要に応じて変化してゆくのである。目が前についているのは前についている必要の理由があるからであり、横についているのは横についている必要の理由があるからであるということはわかる。その必要の理由とは何か。
あるとき猟に行って、たかときじをとった。この二つはまったく性格の合わない鳥で、きじは常にたかに脅やかされているし、たかは常にきじを捕えて食うために虎視眈々(こしたんたん)としている。ところがこの二つの鳥の目をみると、たかは前に向かっており、きじは頭部にあってうしろをも見られるようになっている。
いったいなぜであろうかと不思議に思っていたが、過日石川千代松氏の本を読んでいると、動物の中で、主として、他を攻撃してこれを捕えて食べているライオン、とら、ねこ、たか、わし、フクロウのようなものは、何も逃げながらあとを見る必要はないので、前に向いてついており、馬、しか、牛、やぎ、羊、がちょう、ほと、きじのように主として莱食で、常に逃げることに意を払っている動物は、うしろも横も見る必要があるので、頭側に目がついているのであるというような説明であった。ぼくは、なるほどと感心したのである。ぼくの経験によると、きじなどは、草むらの中を逃げながらも常に、目は、追って来る者のほうを見ている。人間ならば、あとをも見ずに逃げるという
ことばもあるくらい、うしろなどは見ずに逃げるが、きじなどはどんな場合でも必ず追う者のほうに目を離さずに逃げるものである。
この説に従うと、人間などは、結局、逃げる必要もない。また横などを見ずに仕事を
すれば良いのであるから、前に向いてついていると言いうるわけである。さてぼくの感じたことであるが、諸君の中には前に向いた目をもっておりながら、どうもこの横に目のついているしかやきじのように前方を見なくて、横やうしろに気を配りすぎているような人がある。友だちのAはどのくらい勉強したであろうか一つ問い合わせてやろうか、Bはどうだろうか尋ねてみようか、試験制度が変わりはしないだろうか、試験の時に病気になりはしないか、なんてそんなことばかり考えていて大切な前に進むほうがおろそかになる。これではせっかく前についた目にすまないことになりはしないだろうか。
正面を正しくみる人間にはすべて悪人が少ないように、正面に向かってわきめをふらずに進む人は大成する人である。 ―昭和十三年三月―
以上です。昭和十三年というと、戦前の話で、今からするともう一世紀近く前のことになってしまいますが、真理というのは時代がいくら変わっても、同じ内容のことになるのだと改めて思います。
赤尾氏は多趣味で知られていた人で、射撃の腕はプロ級でオリンピック代表にまでなったくらいなのですが、狩猟も好きで、猟の話がよく出てきます。鳥の習性によって目のつきかたが違うというのは、猟をやっている人ならではの着眼点です。補食の危険にさらされる生物が後ろを見る構造の目を持っているのは事実で、カエルなどは、むしろ後ろの方がよく見えます。そのため、カエルを捕まえようとすると、後ろから抜き足差し足で近づくと大抵逃げられてしまいますが、正面から堂々と近づくと、意外に簡単に捕獲できます。
人間の目がなぜ正面を向いているのかというと、樹上生活が長かったため、目の前にある枝との距離を正確に測る必要があったためです。そのためには、目が距離をおいて平面状についている必要があります。そうすると左右の目で照射角度に差が発生しますから、それを利用して対象物との距離を計測できるという仕組みです。
科学的な説明はこれくらいにしておいて、氏の言う「人間は正面を見るべきだ」という主張は、全くもって正論です。我々はとかく、他からの目を気にします。横ばかり見て他人と自らを比べ、一喜一憂したがります。まっすぐ前を向いて頑張れば大抵のことは何とかなりますが、昔はよかったと嘆いてばかりで前をなかなか向こうとしません。樹上できちんと前を向かず、飛び移る枝との距離を計測しそこなうと、落下して命にかかわります。現在の生活でいうなら、目の前の困難にきちんと向き合わないと、人生のレースから落っこちて大変な目にあいます。常に正面を見て生きていきたいものです。