top of page

第百四五十一号 

めぐりあわせ

最近、赤尾好夫氏の著作「若人におくることば」を紹介しています。氏は旺文社の創設者でテレビ業界の発展にも尽力した人でした。私くらいの世代ですと、「赤尾のマメ単」という単語帳の著者として知られています。この本、往年の受験生のバイブルでした。
氏の書き残したものは、戦前から昭和40年くらいの時代のもので、今読んでもそのまま通用する内容のものと、時代を大きく反映しているものとの、二つに分けられます。これまではそのまま通用する内容のものを取り上げてきましたが、今月は時代を感じさせるものを紹介しましょう。

めぐりあわせ    
宇宙関係の科学者のつどいがあった。座談会の終わったあとで司会者が「いよいよ宇宙旅行ができるというすばらしい時代になったわけですが、先生がたはなにかご希望があったら率直に言っていただけませんか」とたずねたところが、あるひとりが即座にこう答えた。
「もう三十年あとに生まれたかったですね」と。一同文句なしに賛成したのである。もう三十年おそく生まれれば、月世界に別荘を作ることもできるであろうし、火星に新婚旅行をすることができるかもしれない、などと楽しい冗談がかわされたが、これらの科学者はだいたい五十歳前後であるから、もう三十歳若いとなると、二十歳、おおよそ諸君の年輩ということになる。これらの日本を代表するような科学者をもってしても、その願望は、諸君と同じ年代でありたいということである。私もまた同様である。しかもどのような科学的な力をもってしても、若返ることは現在ではとうてい及びもつかない夢想にすぎないことである。
無限の過去から永劫の未来に去る一瞬において、人類が宇宙に飛び出すという時代に諸君は良くもめぐり合わせたものである.これが人類に幸福をもたらすかどうかは知らない。だがこれが人類のたどる必然の道であることにまちがいない。そしてその人類の文化の前進のにない手は諸君である。考えると感激新たなるものがある。これを人類の繁栄のためにできるかどうかは諸君の手中にある。真剣に学んでもらいたいと思う。
昭三五年六月

この原稿が書かれたのが昭和35年6月で、西暦でいうと1960年。アポロ11号が月へ行ったのが1969年で、9年後のことですから、発言していた科学者のかなりの人はアームストロング船長が月に降り立つのを見届けることが出来たでしょうが、その後のスペースシャトルや人工衛星ミールなどは、とても目にすることはできなかったはずです。
科学者たちが「あと30年あとに生まれたかった。」というのは、当時の実感でしょう。高度経済成長の真っ只中ですから、科学の発達とともに明るい未来が来ると誰もが信じていました。手塚治虫の代表作といえば鉄腕アトムですが、アトムの妹はウランちゃん、兄もいてコバルトというのですが、アトムの意味は「原子」、ウランとコバルトは放射性物質ですから、現在の感覚で言うと物騒なことこの上ないです。しかし、当時は原子力というと夢のエネルギーと思われていて、マンガの主人公にまでなっていたのです。
この原稿が書かれてから30年どころか、倍の60年以上が経ってしまいました。結果から言うと、プラスとマイナスの差し引きはゼロです。情報技術などはとんでもなく発達しましたが、その代わり、能率優先が行き届きすぎて、ストレスでおかしくなる人がめちゃくちゃ増えました。この原稿が書かれた頃、「ニッポン無責任時代」という映画があり、植木等という人の演じるサラリーマンが主人公で、調子の良さだけでどんどん出世してしまう話で、
「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだ」
という歌詞があり、サラリーマンは朝8時に出勤して、夕方5時までいれば給料がもらえる、気楽な稼業とされていたのですから、ストレスに悩む現代のサラリーマンからしたら、本当に夢のような話です。その代わり、テクノロジーは未発達で、CDもDVDもインターネットも、スマホもパソコンもありませんでした。私が大学生の頃まではコピー機も普及しておらず、手で全て書き写すのが常識でした。今思うとまるで「写経「をやっているようなものでした。
結局、時代を感じさせる内容だろうがなんだろうが、人間の本質はいつの時代も変わらず、道徳や宗教の果たす役割に変化はないのだと思います。


第百四五十二号 

自分のことになると

ここのところ、旺文社の初代社長、赤尾氏の文章を引用しています。文章はここからです。

自分の事になると
二月に家族をつれて伊豆に出かけた。子供たちを自動車に満載し自分で運転して出かけたのである。湘南の整備された道をドライブする気持ちはさすがにすてきで、アメリカあたりのドライブウェイとあまり変わりはなかったのであるが、さて一泊して翌日になると、ぐあいが悪くてどうしても動かないのである。私の自動車に対する知識をもってしてはいかんともしがたい。二十年以上も運転をしているのであるが、根が大体だんな芸で自動車で生活したわけではないので腕が甘いのである。油でまっ黒になって機関部を分解したことのない腕では、深部の故障は手がつけられない。やむなく会社の近くの本職が、気の毒に新年早々のトノを味わっているのを呼びよせて、修理させたのである。本職がくるとすぐにわかる。連結盤が摩滅していたのである。新しいのと取り替えればなんでもないのである。
新春の街頭で、あざやかな手つきで修理する専門家の技術をながめながら、しみじみと感じたのである。人間というものは自分の事になると、たわいもなくボロを出してしまうものであると。運転手をつけずに自分で運転して遠出するのであるから、当然徹底的に整備しておくべきなのである。自動車の整備なんてそんなにむずかしいものではない。専門家が入念に点検すれば、まずまちがいはないのである。途中で故障を起こしたり、動かなくなるのは九九%まで整備が不十分なのである。
若い青年が近よってきて、「赤尾先生ですネ」という。土地の商店の息子さんである。退屈まぎれにいろいろと話をしていたが、車のことになると、「先生の車でも故障するのですネ」「そのとおりですよ。他人には説教めいた事が言えても自分の事になるとまったく情けないもので……」ふたりとも大笑いした。真にみずから反省することの困難さを知った新年であった。
昭和三十年三月

原文はここまでです。旺文社は受験雑誌「蛍雪時代」を発行していることからわかるように、氏は青少年教育に情熱を注いだ人でした。私も高校教師なので身にしみてわかりますが、人には大層な説教をしていても、自分のことになるとさっぱりということが往々にしてあります。新聞部の顧問をしていたことがありますが、一番困るのが先生方への取材で、相当前から原稿の依頼をしておいても、まず期日に出してくれません。催促に行くと「忘れた」「用紙をなくした」ならまだましなほうで、「今忙しいのに何で来る」と文句言う人もおり、生徒たちは「期日守れとかさんざん言っておいて、自分が一番できてないじゃないか」と言って怒る怒る。なだめるのが大変で往生したのを思い出します。先生の子供にはめちゃくちゃ優秀か、すごくグレてしまうか、両極端な傾向が出やすいように思うのですが、先にあげた悪い側面が家庭内で出てしまうと、残念な結果になってしまうのではないかと思います。私は僧侶でもありますが、困ったことにこのことは僧侶や神主についても言えてしまうようで、「欲を捨てよ欲を捨てよ」と人には説く立場にありながら、一番欲深いのは実は当の本人だったりすることが結構あるものですから、始末が悪いです。困ったという声が多いのが、ご葬儀などで
「お布施はいくらくらい包めばいいのでしょうか。」
と質問すると、たいがいどこのお寺でも、
「お気持ちで結構です。」
とお答えになるのだから、困って適当な金額を包んでいくと、
「これでは少ないです。足りません。」
といって突き返されてしまうケースです。全然「お気持ちで結構」になっていません。私はかりにも宗教人が、「お気持ちで結構」と言った以上は、たとえお布施が100円であろうが喜んで葬式をするべきだと思うですが、宗教界ではこれは主流の考え方ではないようです。自分のことになると、全然欲が捨てられていません。
同様のことはどの職場でも言えるようで、「最近の若いやつは礼儀がなってない」などと文句を言う人が、実際には当の本人が一番礼儀がなってなかったりして、周囲は「よりによって、お前が言う?」と、あぜんとしてしまうことも結構あります。「自分の上の星は見えない」ということわざがあり、「他人の運命を占う星占い師でも、自分の運命はわからない」という意味ですが、誰にも当てはまることなのでしょう。大層なことを言う前に、まず自分を振り返って反省したいものです。 


第百四五十三号 

変化するもの、しないもの

旺文社の創設者、赤尾氏の著作の内容を紹介しています。氏の著作は戦前から昭和40年までの、だいたい30年間にわたりますが、赤尾氏自身、時代がいかに変わろうとも言っていることは首尾一貫している、と記しています。これは納得できる話で、この「ともしび」も、半分くらいは40年近く前に書いたものです。当時はバブル経済真っ只中で、カネさえあれば何とかなるという風潮でした。当時、「おぼっちゃま君」というギャグアニメがありまして、主人公は大金持ちの息子で、主題歌の中に「金で解決ワッハッハ」というフレーズがあり、ストレートすぎる内容に苦笑したのと同時に、「こいつは将来、マトモな大人にならんな」と思ったのを思い出します。バブルの頃の風潮を如実に表していたマンガでした。ちなみに、作者は「ゴーマニズム宣言」で有名になる前の、小林よしのりでした。このように成金趣味そのものだったような時代があのバブルですが、その頃に書いた内容は、結局今でも通用します。時代がいくら変わっても人間の本質は変化しないものだということが分かります。
その一方、あまり多くはありませんが、時代の変化に従って内容を書き直したものもあります。代表例が「一粒5000円のさくらんぼ」の話で、
「温室栽培で冬に採れるようになったさくらんぼが、一粒5000円で販売され、飛ぶように売れた。」
という話で、一粒が5000円ですから、1パックだったら10万円以上したことでしょう。この記事を見て当時私は
「いくら何でも贅沢が過ぎる。金だ金だと浮かれすぎて、精神的な幸せの追求をやっていないのではないか。」
ということを書きました。いまどきこんな馬鹿なことにお金を使う人はいませんから、当然この部分だけは書き直しています。
今回紹介する赤尾氏の話は、昭和34年、1959年の話です。

創意
南米に行った時のことである。店頭をのぞいてみると、日本製らしい玩具が多い。手にとって入念にみると、まぎれもなく日本製である。Made in Japanと銘うってあるのもあるし、ないのもあるし、中には、Hong Kongなどとプリントしてあるのもある。値段が他の国、米国や欧州のものに比べて極度に安い。私は同行の土地の婦人に話しかけた。
「日本品は特に悪いわけではないのに、値段が安すぎるのはどういうわけでしょうか?」彼女はしばらく困ったような顔をして答えることをためらっていたが、私が答えを待っているのでついに決心したとみえて気の毒そうに答えた。「あのう、実は日本品はたいてい欧米品のイミテーションだというので、低く評価されているのです。」
私の顔は赤くなり、しばらく話の受け答えができなかった。
ことしドイツで行なわれたおもちゃの展覧会でも、製品の陳列所では、日本の代表が観覧にはいることを拒否されて問題を起こしていた。日本人の代表たちは、私などが味わったのとは比較にならないほど恥ずかしい思いをしたに違いないと思う。(一九五九年二月、ドイツ、ニュールンベルグで開催されたおもちゃの展示会で日本代表は、日本が過去においてドイツ製品のまねをしたという理由で入場を拒否された。)
それにしても、こうした恥ずかしい模倣性というものは、いったいなぜ日本人に強いのかと思う。わが社でやっている作品の募集にもまったくの模倣があって、ときどき問題を起こす。
ところで今度、皇太子の御成婚を記念して、わが社で作品を募集した。全国の学生諸君から多くの作品が集まった。選者ではないが、私もそれらの若千に目を通してみた。実に創意に満ちた意見がもられている。文は拙くとも、字はへたでも、いかにも青年らしい純心さや熱意のあふれているものをみると、なんともいえない感激に打たれるのである。やはりわれらの民族の将来は希望が持てると思うのである。私は、青年の自主的な創意に大いに期待をかけたいのである。
昭和三四年五月

当時、日本製は「安かろう悪かろう」だと思われていて、ちょうど現在の我々が中国製品に対して抱くイメージと同じだったわけです。それが現在のように「日本製と言えば高品質の代名詞」とまで言われるようになったのには、筆者が後半で触れているように、当時の若者、多分団塊の世代と言われる人たちが必死に働いてくれたおかげで、現在の日本製への信頼があるわけです。この点は多いに感謝しないといけません。時代によって大きく状況は変わったものだと思います。その一方で、未来をひらくのは常に若者であり、よりよい形でバトンを渡していかなければならないのも事実で、こちらの方は時代がいくら変わろうとも変化しない、恒久の真理とも言うべきものでありましょう。


第百四五十四号 

及落を支配するもの

旺文社の初代社長、赤尾氏の著作を紹介しています。今月は、次のような内容です。

及落を支配するもの
 初夏に地方の高校に出かけた。単に講演をたのまれて出かけたので、それらの学校をそんなに鋭い日で、批判的に見るつもりは絶対になかったのである。
 大体、門をはいって校長室に行き、講堂までの廊下を歩く。あるいは時間に余裕があれば運動場ぐらいをのぞく。それだけでおよそ、その学校の大学への入学率というものが推測できる。三つか四つ高校を見て、そのあとで具体的なそれらの成績をとり出して見ると、私の想像にほとんど狂いのないのに驚く。たとえば、四つの学校の順位が想像と入れかわっているというようなことは、ほとんどないのである。
 私は決して想像力や、観察力が鋭いわけでもなく、そんなに真剣に見ているわけではない。私以外の人が見ても、このようなことに経験のある人であれば、おそらく同じことがいえると思う。
 学生の意気込み、態度、服装、学校の整備状態、掃除、職員の態度、熱意、そうしたいろいろの要素が総合されて、何となしに勘を与えるのであると思う。いや、勘でなくてしっかりした基準で採点していったならば、もっと具体的な正確な結論が出てきて予想はもっと的中するであろう。
 してみると結局、精神的内容というものは形の上に現われるものである。そして、入試によい成績をうることは決して偶然の結果でなくて、必ずしかるべき努力が積み重ねられて、それが結果として現ゎれたものである。花や、葉や、幹を子細に観察することによって、結実を予想することは困難でない。           ′
 人間というものは、負けおしみの強い動物で、失敗した時には口実をもうけたがるものである。しかし、私はこの事実をみて、結局、運が支配する要素のきわめて少ないことを知るのである。
諸君の学校が、あるいは諸君自身が、これなら相当の成績をあげうるであろうという客観的要素を持つことでぁる。しかもなおかつ、思わしくない結果が現われた場合には運をうらむべきである。
 おそらく、運をうらまなければならないような結果は生まれないであろう。
昭二六・八

いかがでしょうか。赤尾氏の作った旺文社は受験生向けの雑誌「蛍雪時代」を出していますので、この内容も受験生を念頭に置いて書かれています。当院にも相当な数の受験生が来て合格祈願や、成績向上のための祈祷を頼みに来ます。成績が上がらない生徒に対しては、
「まずは君の机の上を整理しなければ。それをやらないから成績が上がらないのだ。」と言うと、大抵の生徒はぎょっとして、なぜ分かったのだろうという顔をします。これは当たり前というか当然の話で、机の上がぐちゃぐちゃな子は、計画性がなくてだらしないからそうなるのであって、計画性がなくてだらしない子が成績が上がるわけがないのです。赤尾氏が言うように、精神面は必ず形に表れます。
受験生でなくても今回の話は、含蓄が深いものです。ずいぶん前に「ゴミゼロ工場の秘密」という本を紹介したことがあります。つぶれかけた町工場が掃除に取り組むことによって業績が劇的に回復した実話ですが、赤尾氏の主張と同じことが言えます。環境が乱れていては結果が出ないのはむしろ当然のことで、服装や部屋の乱れは心の乱れそのままですから、形に見える部分を整えないと、中溝が変わってくることはありえません。
当院は真言宗に属していますが、他宗派や他宗教のやり方も、よいと思ったことはどんどん取り入れています。説法重視なのは浄土系の寺院を見習ってのことですし、お経を尊んで現代語訳するのは、法華経を大事にする日蓮宗と、現代語で聖書を分かりやすく解説するキリスト教を見習ったものです。年に三回ある「おみがきもの」の日は、掃除重視の禅宗に学んだものです。禅宗では、
「わざわざお経を読んだり仏様を拝まなくても、一生懸命仕事をすれば、それがそのまま仏の道である。」
と教えていて、そうなるとお百姓さんたちには非常にありがたい教えになります。毎日の農作業を一生懸命やりさえすれば、それでいいのですから。この理由により、農家が多い東北地方には禅宗がすごく多いのです。これは全くもってその通りで、掃除や環境を整えることは、そのまま仏の道を実践していることなのだと思います。


第百四五十五号 

精神の統一

旺文社の初代社長、赤尾氏の著作を紹介しています。今月は、次のような内容です。

精神の統一
 いなかで、アユ、ヤマメなどをやりでついている男に会った。
 相当な急流であるが、ふたのない箱の下をガラスにして、それを水面につけて、波があっても水中が見えるようにして、そこから下をのぞきながら、魚が通ると、右手にもった細いやりを一瞬、突き出して実にたくみに魚を突きさすのである。三度に二度は突きささって、それも、背から腹にかけてまん中を真一文字に通っているのである。あまりあざゃかにゃるので、ぼくもやりをかりてやってみたが、ぼくには一尾も突けない。第一に流れの速い中を上下する魚が、波にまぎれて良く見えない。見えたと思うとすぐにどこかに行ってしまう。うまく手ごたえがあったと思うと、草の葉を突いたりしている。
 それでこの男の突いているのを注意深く観察すると、われわれがおもしろ半分にやるのとはまるで違っている。その水の中を見ている時は、眼光は人を射るがごとく、やりをもった右手には全身の力がはいって、やや赤味をおびてかすかにふるえている。「なるほど、このくらい力がはいらなければだめだな」と、感じたのである。
 この男が話したことだが、
 「精神を統一することが第一ですね。私も今から四、五年前、三十五六のころは、まったく精神統一ができて、ほとんど百発百中でしたよ。そのころは水の中をのぞきんでいても、水や草は全然見えなくて、魚だけが日の前に見えました。その後、からだが弱るとともに次第に腕もおとろえて、今では、水の流れや草など日にはいって思うように突けません」と、述懐した。
結局われわれが、仕事中や勉強中、外の音などが耳にはいる間は、精神が統一されていないのである。
われわれが勉強する時は、ほんとうに精神を統一すれば、その本以外のことは何も頭にはいらないようにならなければいけない。当然そうなるものとぼくは考える。
 この尊い教訓を与えてくれた男とも、その後は会わないが、あいかわらず山の中で精神統一に余念のないことであろう。
昭一一・八

以上です。七十年近く前の内容ですが、精神統一という点では今も昔も変わるものはありません。この名人の、魚しか見えなくて、もりを突きだしたら百発百中というのはすごい話ですが、目で魚を追うとかそのようなレベルではなく、多分自然や魚と一体化してしまって、無心にもりをついているのだと思います。
スポーツや武道の世界ではこのような話はたくさんあり、世界のホームラン王、巨人の王選手が「ピッチャーの投げるボールが止まって見える」と言ったのは有名ですし、弓の名人が弟子たちに「お前たちは心で矢を射ないからだめだ」と言って、真っ暗な中で数十発矢を射て、弟子が明かりをつけて的(まと)を見に行ったら、全てど真ん中に的中していて腰を抜かしたとか、いろいろあります。
精神統一という場合、一般的には、無心になって対象に集中するというイメージを持たれている傾向がありますが、実際には、何も考えず無の境地になるということは、非常に難しいものです。よく行われているのは、何かに意識を集中させ、それによって余計なことを考えなくするという方法です。禅宗の座禅や、真言宗の阿字観(あじかん)などの瞑想法では、呼吸を数えることによって精神統一をはかります。禅宗はこの点が徹底していて、食事の時は一生懸命飯を食い、寝るときは一生懸命寝ろと言います。一番すごいと思うのが、死ぬのも修行の一つとされていることです。つまり、「死ぬ時には一生懸命に死ぬ」、当然こうなります。
さすがにここまでいくとなかなか真似ができませんが、前にも書いたのですが、なんといっても一番のおすすめは掃除です。どの宗派でも掃除は僧侶の大切な修行とされており、掃除に集中することは、仏の悟りそのものであるとされています。時々、仏の悟りについて教えて欲しいという人が来ますが、まっとうな勉強ならよいのですが、中には、屁理屈をこねたいだけというケースもあります。こういうタイプの人に対しては、「どうでもいい屁理屈こねている時間があったら、掃除してあなたの心をみがくほうがいい。」と言うのですが、これが一番正しいやり方なのではないかと思います。屁理屈こねても時間が無駄になるだけですが、掃除してもらうと周囲がきれいになりますから、本人にも周囲にもいいことばかり、ということになります。 


第百四五十六号

態度

旺文社の創設者、赤尾氏の文章を引用しています。氏は旺文社の初代社長であり、創成期のテレビ事業にも深く関わっていたので、人物の紹介を頼まれることが多く、よく就職の斡旋の話が出てきます。次のような内容です。

態度
 一か年ほど前のことである。ひとりの青年が友人の紹介で小生を訪れた。
 ある私立大学の法科を卒業した男で、今別に就職のあてもないので、何か仕事があったらさせてもらいたいとのことであった。年が二十五、六のみなりも別にかざりもせずさっぱりして、頭のテッペンから足のつま先までひととおり整っている。礼儀も知っているし、聞けばはっきり答えるし、余計なことはしゃべらない。いわば好感の持てる青年の部にはいる。ぼくは十分ほど話してみて、この青年は使えるなと思ったが、ぼくの社には大学の法科出のやるような仕事が全然ないので、事情をよく話して断わった。ぼくは、適材適所主義で、不適の人はいかに懇意な方に頼まれても、全然採用しないことにしている。それは当方ばかりでなく本人をも、 一生を誤らしめる原因になるからである。
 ぼくの話を聞いて、この青年は了解して帰った。それから数日してこの青年から実にていねいな手紙を受け取った。その文面は、突然訪れて失礼したということと、ぼくの話したことを十分に了解したので、他に適当な仕事を捜すために全力をあげる覚悟である。もし適当な仕事が見つかったらお礼に上るから、という手紙であった。
 ぼくは近ごろの青年にしては珍しいと感心したのである。たいていの青年が来て、もしだめだとそれっきりはがき一つくれないのである。はなはだしいのになると、就職の世話までしたのにもかかわらず、年賀状一つくれないのである。そのくせ会社で誤りでも犯して重大化するとさっそくとんで来て、何とか謝罪してくれと泣きを入れる。このような青年は実に多く、このような青年が長い人生において重要視されるはずはないのである。
 この青年の態度が非常に気に入ったので今度はぼくのほうから積極的に就職運動をして、ようやくある会社に勤める事になった。ぼくの知り合いの人が経営している工場の事務所に勤務したのであるが、その後もこの男は一か月日ぐらいに必ず便りをくれて、元気に働いていると実に朗らかな文面なのである。で彼の働いている工場の経営者に会ったところが、まことに良い青年を紹介してくれたと喜んで礼を言われた。
 ぼくは、世の中に彼のような青年がもっと多かったら、あらゆる点からみて、どんなに喜ばしいことであろうかと考えたのである。
昭一二・五

以上です。なんと戦前の話でありまして、内容も現在の感覚で言えば縁故就職そのものであり、同様のことは絶対できません。だからといって、有力者に頼んだら簡単に就職ができるのかというと、そんなに甘いものではありません。ことわざに、
「金請けしても人請けするな」
というものがあります。
「金の工面はしてやってもよいが、人の紹介はやるものではない」
という意味です。ろくでもない人間を下手に紹介すると、トラブルの原因になり、紹介した相手との関係も壊れてしまいます。氏の本の中にも、人に頼まれて就職の斡旋をしてやろうと思ったが、当の本人を見て、これはダメだと思って断ったという記述が頻繁に出てきます。出版と放送の会社を経営するだけあって氏の人を見る目は確かで、自分の目で見て、これはいい人材だと思う場合だけ推挙しています。
私たちは、有力者に斡旋を頼むと、ドラ息子でも楽して仕事にありつけるように思ってしまいがちですが、現実はもう少し厳しいのです。給料が安くて生活できない、もっと高い給料の仕事が見つからないかという相談がよくありますが、赤尾氏が「この人物は使えるな」と思った、ちょうど正反対のことが起きているから、給料が安いのです。よい給料をもらおうと思ったら、何よりもまず、自分の商品価値を高めないといけません。これといった資格を持っていないとか、技術力が劣るとか、いろいろな要素がありますが、結構多いのが「金のことしか頭になくて、社会奉仕のために人は働くのだという発想がそもそもない」ケースです。このタイプはまず会社で重宝されませんから、どうしても薄給に甘んじることになります。
自らの価値が上がったら、転職したくなくても、ほっておいてもヘッドハンティングで引き抜かれて、前より高い給料をもらえます。赤尾氏の例のように、「この人は使えるな」と思わせる人間になりたいものです。

第百四五十七号 

ちょっとしたことだが

旺文社を創設した、赤尾好夫氏の文章を引用しています。「若人におくることば」という非常に古い本で、最初は、読んでみてつまらなかったら紙資源にしようと考えていたくらいの気持ちだったのですが、「ともしび」に引用して補足の言葉を書いていくうちに、つくづくいいことが書いてあると思うようになりました。思うに、赤尾氏は会社を経営する実業家であり、人を見きわめて適材適所で活かしていくことに長(た)けていて、本物だけが持つ説得力が魅力なのでしょう。会社は人で決まりますから、みどころのある人材を採用して活躍してもらわないと、会社はつぶれてしまいます。氏の文章にはたびたび進学や就職の斡旋の話が出てきますが、今月もそのエピソードの一つです。

ちょっとしたことだが
 就職のシーズンになった。ことしは、鍋底景気の影響を受けて、きわめて不況らしい。朝早くから夜遅くまで、次から次へと攻めたてられる。ずいぶん無理なケースだと思っても、たのまれる身になると、つい心が動かされて、紹介状を調いたり、電話をかけたりする。人間の務めだ。                       ・
 けさ一人の青年が現われた。テレビ会社を志望だが、学内選考にもれたので何とかして受験できるようにしてもらいたいと言う。だが、私と郷里が同じであるというこの青年に対する記憶が、全然私の頭に残っていないのである。
 「失礼だが、ぼくは全然君を記憶していないが、いったい君とぼくと郷里が同じであること以外に、ぼくが君を推薦する理由が何かあるのだろうか?」
「先生、お忘れになりましたか。私は大学にはいるときに、先生に保証人になってもらいました。M校長に連れて来ていただいて、この室でお日にかかって――。」
「ウーム、ああそうか。思いだした。」
 たしかに世話好きな校長がわざわざこの学生を連れて来たのである。
「それにしてもぼくはまったく忘れてしまっていたが、君、四年近くなるが、 一度ぐらい年賀状でもくれたことがあるかい。」
 青年は恥ずかしそうに答えた。
「申しわけありません。つい学ぶことと遊ぶことに夢中になっていまして――。今度こそご恩はお返ししますから、先生たのみます。」
 私はムッとしたが、この少し抜けたような青年の、悪気のない答えがユーモラスなので、つい顔がほころびてしまった。
「いや、恩は返さなくともよいよ。でも、人生は一人では生きて行けないのだから、覚えていたら、やっかいになった人には、たまに近況くらい知らせなさい。そんな程度のことが、あなたの生涯を左右するかもしれないのだから。お互いに人間だからね。」
昭三三・一一

いかがでしょうか。以前、赤尾氏が「この人物は使えるな」と思った例を紹介しましたが、今回はちょうどそれとは反対のタイプということになります。この学生が校内の選考にもれたのも納得できる話で、困ったときだけ泣きついて、あとは知らんふりですから、こういう姿勢が随所にうかがえるもので、この学生は信用されないのだと思います。感心するのが、斡旋をしてやっても、氏が見返りを求めていないことです。まさに施しであり、このような心がけであるから、一代で会社を興すことが出来たのでしょう。調子がいいだけの学生とは対照的です。
以前、若くして会社を立ち上げた社長がインターネット配信の番組に出ていました。出身大学は九州の、お世辞にも偏差値が高いとは言えない私立大学で、無精ひげを生やしてジーンズ姿で、どう見ても「ちょい悪オヤジ」そのもので、それでいて毎日億の金を稼いでいるというから、うさんくささ満載です。どんなことを話すのかと思っていたら、
「人を見きわめなければならない。例えば、僕が会食に連れて行ったとして、翌日電話をかけてきて、『夕べはごちそうさまでした。』と、ちゃんと礼が言える人間でないといけない。こういうことが大切。」
と言ったので、ほほーっと感心したものです。赤尾氏の言っていることとほとんど同じで、だからこそ一代で巨万の富が築けるのだと納得しました。一代の大成功した起業家というと、とかく何か暴利をむさぼって会社を大きくしたような印象を持ってしまいがちですが、実際は全く逆で、人としての礼儀を欠かさないところに信頼関係が生まれ、会社も大きくなるというものです。成功者の鉄則とでも言うべきものでしょう。


第百四五十八号 

機会をとらえる人物

旺文社の創設者、赤尾氏の著作から引用しています。今月はこのような内容です。

機会をとらえる人物
 社のすぐ近くに、松永安左衛門という方が住んでいる。大部分の諸君は知っているであろうが、日本電力界の巨頭である。
 氏は学校を卒業して、日本銀行にはいったが、辞して神戸に行きブローカーとなってハッピ姿で働いた。外形があまりにもみすばらしかったので、旧友も、冷笑して近づかなかった。かつて氏の生家に船頭をしていた男が訪ねて来て、 一ぜん飯屋で食ベている、あまりにもひどい氏の食事に「私だってこんなものは食えませんよ。こんな生活をしていないで、お国にお帰りになったらいかがです。旅費は私が立て替えますから」というようなことを言ったそうである。この時、氏は昂然(こうぜん)として「何を言うのだ。自分で働いて食べる飯が、どんなにうまいか、やっと自分にはわかったのだ」と言って、平気で食べていたそうである。
 同窓が背広を着て、出入りの食堂から弁当を運ばせて、いわゆる、紳士的仕事に携わっている間に、氏は黙々として、いっさいの虚栄をかなぐり捨てて、現在の土台を築いていたのである。
 ひとかどの事業をなしとげた人を、世人は往々に、運が良いとか、機会に恵まれたとか言うが、運が人生の勝敗に影響することは、ほとんどないといってもよいくらいなものである。もし、松永氏を冷笑した氏の友人たちを、逆に松永氏の地位に置いたとしても、おそらくひとりとして、氏のなしたような業績をあげることはできなかったであろう。
 人間というものは、変な自負心というようなものを持っていて、他人がすばらしい成績をあげた場合、たとえば、 一流学校に首尾よくはいった場合など、その人の真価というようなものは見ようとはしない。まず、幸運だというように考えがちである。しかし、世に相当の仕事をした人物をよく観察してみると、この松永安左衛門氏ばかりでなく、みんな並みの人と異なったところがあるのである。
 人間が小さな見栄をはったり、安逸な生活を求めたり、わずかばかりの労苦を苦痛と考えている間は、まちがっても、機会をとらえるようなことはできない。入試だって、世の仕事と一つも変わりはない。人並みに遊びもし、避暑もし、山登りもし、映画も見、しかもなお、一流学校に合格しようとすることは、木によりて魚を求めるに等しいものである。
昭一二・七

以上です。赤尾氏が作った旺文社は、大学入試の専門雑誌「蛍雪時代」も発行していますから、若い受験生向けの内容ですが、我々が読んでも教えられることが多くあります。文章を読むと、松永氏の生家は人を使っているくらいなので、少なくとも貧乏な家ではなさそうです。普通ですと親の資産にあぐらをかいて、贅沢三昧の怠惰な生活を送りそうなものですが、そのあとが偉いです。特に、
「自分で働いて食べる飯がどんなにうまいか、やっと自分にはわかったのだ。」のセリフにはしびれます。裸一貫の叩き上げの人しかわからない、真実の言葉と言えるでしょう。額に汗して必死に働き、それでもらった報酬でありがたいと飯を食べる、それが働くということの原点です。何のために働くのかというと、大概は金のため、生きていくのに仕方がないからいやいや働くと答える人が大半ではないかと思います。この発想では、できるだけ楽をして高い給料が欲しいということになりますが、そんな仕事はどこにもありません。あったとしたら、それは間違いなく詐欺です。
それに対して、松永氏の場合は、一生懸命に働いてわずかばかりの金を得、その金でとてもひどい食事をしているのですが、それが労働の原点であり、たとえ10円の報酬であっても、ありがたいと感謝する、その心がまえが出来たからこそ大富豪になれたのでしょう。
もっとも、このような高い志(こころざし)が子孫に受け継がれていくのかというと、往々にしてうまくいきません。どの会社も創業者は辛酸をなめつくして性根がすわっていますが、二代目あたりからおかしくなってきます。三代目の孫の代になると、小さい頃から贅沢三昧(ぜいたくざんまい)で、自分は偉いんだと勘違いしていることが多くあります。そのため三代目が道楽の末に家業をつぶしてしまうケースが多々あります。
売り家と 唐様(からよう)で書く 三代目
という川柳(せんりゅう)があります。家業をつぶしてしまって店舗を売りに出したが、三代目は道楽だけはしているから、その「売り家」という張り紙の字だけは、中国風でしゃれていて妙に上手だ、という内容です。ほめられるポイントがずれすぎていて、シャレになりません。志を伝えていくというのは、つくづく難しいものだと思います。


第百四五十九号 

みずからを知らざるもの

旺文社の初代社長、赤尾好夫氏の文章を紹介しています。地位のあった人だけに人材斡旋の話がよく出てきますが、今回もその一つです。

みずからを知らざるもの
 ある知人からひとりの青年を紹介してよこした。適当なところに世話してくれというのである。中等学校を卒業している三十歳前後の人である。かなり大きな印刷会社に数年勤務したが、おもしろくないからやめたのでどこかの印刷会社にはいりたいというのである。会ってみると感じは別して悪くない。しいて欠点をいえば、くそ落ちつきに落ちついているところがどこか人間が暗い感じをうけるくらいなものである。
 しかし話してみるとたいして常識もないし、からだもそれほど健康ではないようだし、頭も決して敏感のほうではない。話しているうちに、「なぜ前の会社をやめたか」ということを尋ねてみると、この青年は、盛んに前の会社の待遇が悪いとか、主任が理解がないとが、設備が悪いとか、労働が過重だとかさまざまの不平を並べるのである。僕は黙って聞いていたが、非常に不快になった。いったいこの男にこんな不平を言う資格があるだろうかと思った。「ぼくには到底君を他に紹介する勇気はない。世の中なんて神様が造ったのではない。君が今言ったような不平を満足させてくれるような会社はぼくの知っている範囲ではどこへ行ってもない。おそらく世界じゅうどこへ行ってもないであろう。なおそれ以上に、少なくも数年勤めていた社の上に立つものを、あれこれと非難する君の根性が浅ましくて不快だから、君はその性質を直してからまた来てくれたまえ。」ときっぱり断ってしまって、この紹介者に対しても、この旨をはっきり言ってやったのである。ぼくはもしこの男が、あっさりと「実は自分の実力では前の会社は勤まらなかった。事実自分は少しなまけていたが、今度は大いに頑張って努力するから、ぜひご紹介を賜わりたい。」というようなぐあいに出てくれたら、及ばずながらもできうる限りの援助はしたであろう。
 ぼくはしみじみと感じたのである。不平というものは「一番不平を言う資格がないものが一番言うものである」と。
昭一四・三

以上です。記事が書かれた日付を見ると、なんと戦前です。人一人の人生一個ぶんくらい前の話ですが、今の時代と人間の本質が全く変わっていないことに驚きます。当院に仕事の相談に来られる中に、この例と全く同じパターンのものが往々にしてあります。
「前の職場が変な人ばかりなのでやめました。」
という話も非常によくお聞きしますが、論理的に考えてみたらおかしな話で、変な人ばかりの会社は何をやってもうまくいくはずがありませんから、その会社はとっくに倒産しているはずです。それが、会社は存続していて本人はやめているわけですから、結局変な人は当の本人でありまして、周囲に迷惑をかけたあげく、社会に通用しなくてやめているというのが正しいです。
赤尾氏の「不平というものは『一番不平を言う資格がないものが一番言うものである』」という言葉は、まさに真実です。仕事ができないから冷遇される、それに対して不満を言う、また冷遇されるの繰り返しで、全く進歩がありません。頑張る人はどんな環境に行っても頑張るのでどこでも重宝されますし、ダメな人はどこに配置してもダメなものです。
以前日本でも政権交代がおき、自民党に代わって革新勢力が政権を担当しましたが、あまりの無策ぶりに日本は大変なことになってしまいました。「政治が悪い」「時代が悪い」と、文句を言うなら誰でもできますが、では代わりにやってみなさいと言われたら、なかなかできるものではないのです。
「昔はよかった。今の時代はなっとらん。」
という言葉も本当によく聞くフレーズですが、本当に昔は良かった時代なのでしょうか。ちょっと前まで職場ではパワハラやセクハラは当たり前だったし、酒を飲んで車を運転している人間もうなるほどいました。赤尾氏が「不平ばかり言う人間は使えない。」と言って嘆いていたのはこの通り、戦前の話なのですから、今も昔も、優秀な人は優秀であり、ダメな人はいつの時代でもダメなのだと思います。当院にも、
「会社がダメだから、もっといい仕事が見つからないか。」
という相談が多く寄せられますが、実力のある人の場合、会社をリストラされてしまって、やむなく独立したらうまくいくようになり、かえって前よりお金も儲けられて幸せになりました、という人がちゃんといます。つまり、当人にそれだけの実力があったということとでしょう。赤尾氏の言葉を胆に命じて、社会に必要とされる人間になりたいものです。

第百六十号 

最高の快楽とは何か

仏教は欲を捨てよと教えますが、本当に欲を捨てることができるでしょうか。出世欲や名誉欲は、あるに越したことはないでしょうが、別になくても死にはしないし、一生ヒラでヒラき直って生きていくのも、なかなかしゃれた生き方です。では金銭欲はどうでしょうか。職人かたぎで、腕は一流だが年中貧乏という人も少なからずいますが、同じ人生を生きろと言われたら、さすがに抵抗があります。食欲と性欲に至っては、この二つがなくなったら完全に病気で、治療の対象となります。若い頃から、ここの矛盾にはなかなか答えが出ませんでした。
世の中には面白いことを考える人がいるものです。人間の究極の幸せは、快楽の追求ではないか?と考えた人がいます。ヘレニズム時代といいますから、AD400年くらい、今から1700年ほど前のギリシアに、エピクロスという哲学者がいました。彼は人生の幸せは何かと考えていったら、結局は快楽の追求だと思い至ったのです。誰でも、苦しいのより楽なのがいいに決まっています。まことに正直な発想です。では次に、どのような快楽がいいのかというと、誰でも真っ先に思いつくのは食欲と性欲ですが、両方とも持続性がないのと、高リスクという欠点があります。食欲を追求していくと生活習慣病にすぐなり、早死にします。性欲を追求すると社会的に大ダメージを負います。不倫で人生棒にふった人間は星の数ほどいます。金銭欲はどうかというと、追求するほど深みにはまり、金はあるが幸せではない資産家はたくさんいますから、不適だとわかります。出世欲や名誉欲は数多くのライバルに打ち勝たないと実現しませんのでハードルが高過ぎて不可となります。
結局エピクロスが到達した究極の快楽とは、つつましい生活を送り、静かに暮らして平和な心を得ることでした。これを彼は「魂の平穏(アタラクシア)」と名付けたのです。そして、快楽追求こそ幸せであると主張したわりには、安物のパンと薄いワインだけで暮らす地味な生活を送り、植物のように平穏に暮らす人生を送ったのでした。
なんだかとっても矛盾しているように見えますが、理屈をきちんと考えていくと、全然破綻してなくて、筋道が通っています。私は自他共に認めるリアリストで、この「ともしび」も極めて現実性の強い話が多いのが特徴です。理想論に走ることはほとんどありません。そんな私が大学生の時にドハマリしたのがこのエピクロスで、いまだに人生論のベースとなっています。面白いことに、ほぼ同じ発想をしているのが真言宗で、欲望を否定しません。では不倫もオーケーかというと完全アウトで、社会的ダメージが大きいため不可、最高の生活は魂の平穏ですから、言っていることはほぼ同じです。実際にヘレニズム時代は、インド哲学とギリシア哲学が交流しあって相互に影響しあいましたので、本当にエピクロスは仏教の影響を受けています。なぜこうなったのかというと、アレキサンダー大王がギリシアからインドにまでまたがる大帝国を打ち立て、帝国内で活発な文化の交流が起きたためです。初期の仏教では仏の像を作るなどおそれ多いと考えられて、仏の足形を拝んでいました。奈良には仏足石(ぶっそくせき)という、仏の足形を刻んだ石が残っていますが、あれが仏教の信仰の古い形です。ギリシアから、ゼウスとかビーナスとかいった、神の像を刻んでいた職人が大量にインドに移住するようになって作られるようになったのが仏像です。ですから、エピクロスの哲学と真言密教が同じことを説いていても、不思議でも何でもありません。要するに、
「究極の快楽を得ようと思ったら、欲はできるだけ少なくして、平穏な毎日を送り、植物のように暮らせばよい。」
ということになります。
 面白いことに、日本古来の神道もほぼ同じ発想をしています。何のために生きるのかと言われたら、「素直に明るく前向きに、生きていることを感謝すればよい。」というのが神道の考え方で、非常にシンプルかつわかりやすいものです。インド人は物事の考え方においてこれと全く逆で、「一切皆苦(いっさいかいく)」という言葉が仏教にあり、この世のすべてのものは苦である、と考えますから、例えば赤ん坊がこの世に生まれて「オギャー」と泣きますが、インド人はあれを聞いて、
「人生の苦を嘆いて赤ん坊は泣くのだ。」
と考えました。昔から私はこの発想にどうしてもなじめません。人間の赤ん坊はさておき、猫や犬の赤ちゃんが生まれて最初に泣くと、
「生まれた!やった!僕はやっと生まれたぞ!」
と、歓喜の声をあげているのだとしか、どうしても思えないのです。真言密教はとにかくポジティブですから、当然、生あることは素晴らしいこと、欲望も含めてすべては清浄であると考えますから、神道と大変仲が良く、当院も神仏習合で神と仏を祭っており、住職のうち僧侶と神主の両方の資格を持つ者が非常に多いのも、このためでありましょう。植物のように暮らす人生も悪くありません。

  • Facebook Social Icon
  • Twitter Social Icon
  • Google+ Social Icon
bottom of page